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いとどしく虫の音しげき浅茅生に露おき添ふる雲の上人

昨日は返却本が夜まで読み終わらなくて図書館に行けなかった横浜中央図書館の坂道。今日は行くよ。

それで昨日も引きこもりでしたけど、隔日に引きこもりでした、今日は外に出る日。

読書。橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』どうにか読み終えた。というか「三島由紀夫」よりも小林秀雄の本に興味が移ってしまった。同じ橋本治『小林秀雄の恵み』を読み始めた。

小林秀雄は三島由紀夫以上に苦手だった。小林秀雄の影響を受けている評論家全員敵みたいな(笑)。というか批評家という存在が苦手。勝手に読むよという感じ。

まあ、そんなことも言ってられないので読み始めたのが、最初に「本居宣長」で苦手意識を煽る。でも『源氏物語』は歌物語でそのことについて言及していたので、興味を持つ。『源氏物語』の地の文は敬語的な制度をまざまざと見せつける。制度の向こう側のヴェールで覆われた世界とのやり取りで、和歌が詠まれ、和歌に託して心情発露する。建前(地の文)と本音(和歌)で構成された歌物語であるというのだ。

俄然興味が出てきて、角田光代翻訳『源氏物語 上』の「桐壺」を読んだ。まだ『失われた時を求めて』終わってないのに。終わったら読もうかなぐらいは思っていて、河出書房の分厚い『源氏物語』三巻も積読として控えていた。

それで「桐壺」の母上の和歌。

いとどしく虫の音しげき浅茅生に露おき添ふる雲の上人
(虫がしきりに鳴き、私も悲しみに泣く、この草深いわび住まいに、なおもまた、あらたな涙を添えてくださる雲の上のお人よ〈あなたのせいだと申し上げてしまいそうです〉)

角田光代翻訳『源氏物語 上』(河出書房新社)

帝の愛人になったけど宮中ではイジメ倒されて死んでしまうという、その娘の恨みを母は和歌に託したということなんだ。虫が私達の世界かみたいな、そして屋敷も荒れ果てている。

そのように読む本から派生していくのが私の読書パターンなんで、次々と積読の山を築いているわけだった。上巻読み終わったのに、他の本に手を出し完遂してない本がどれだけあるか?いつか読めるんだろうか?まあ、『失われた時を求めて』は意地でも読まなければと思って昨日も少し読んだ。

「見出された時」の第二部は終わったようなのだが、どこまでが第一部だったのだ?後で調べることにして、第二部はシャルリュス男爵とサン=ルーの男色趣味であろうことは間違いなく、サン=ルーの戦死で終えている。それは老いて醜態を晒してしまったシャルリュス男爵と若くて戦死という名誉の死を得た貴族階級の終焉を描いている。

次からはまた「ゲルマント大公夫人の午後のパーティー」に移るという解説。まただらだらのパーティーなのかとげんなりする。

短歌関係ですね。もう6時過ぎてしまった。今日もどんまいかな?それでもやる意味はあるのか?今読んでいるのが、『誰にも聞けない短歌の技法 Q&A』。その中に「独りよがりの歌」と「共感」という項目で、日記としての短歌ならば「独りよがりの歌」でも構わないが、読者を求めるならば「共感」性も必要だという。まあ、そういうことです。「うたの日」に何を求めているのか、日記じゃないだろう?日記ならnoteに書いている。やっぱ日々練習しかないのですよ。その「うたの日」がどんな世界でも日本が嫌になっても日本人が辞められないと一緒ですね。だから変革したいのですが。

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