『芭蕉の表現』上野洋三
図書館本なので、とりあえずまとめ的な感想。
この本は文芸批評を作品を読み込むことで解釈しようとする作品論であり、多くは芭蕉の人となりを解釈に加えていく作家論になっている。それは芭蕉の弟子たちが芭蕉を崇拝するあまりに芭蕉の言葉以上のものを補って解釈していく。
例えば『おくのほそ道』が観光地化され、それまでの解釈を検証することなくただ紹介している本が多すぎるという。『おくのほそ道』は巡礼とも言うべき俳文であるのだから、古典の枕詞を読み込んで学術的に解釈しようとする試みで、芭蕉の表現行為は精神論ではなく分析的に解明していく。
その中で今までの解釈の過ちを指摘していくのだが、研究論文と言ってもいいかと思うほど難解な部分もある。例えば芭蕉辞世の句も弟子たちによって本来言ってなかったのに上五は、「旅に病んで」とされたという。それは弟子たちの日記に書かれていた芭蕉の言葉は、後の七五の部分だけであり(「夢は枯野をかけめぐる」だがこれも弟子たちによって俳句の言葉にされていた)、弟子たちが芭蕉の姿を理想化してそこに描いたに過ぎないとする。
『おくのほそ道』は曽良の日記による解釈が読みを限定しているが、芭蕉による『奥の細道』改訂版というものが発見されたことによって(漢字表記するのは改訂版の意味があってか?)、曽良の日記から読むのは当てはまらない箇所がある。
それは芭蕉が『おくのほそ道』を旅する以前に構想を構築していた形跡があり、よく言われる「春」から始まって「秋」に到達していく構造的文章、そしてそのように構築された創作物であるから、即興で書かれたものではないのだ(旅してから数年後に『おくのほそ道』は書き上げられた創作品なのである)。芭蕉の計算があって、適材適所に俳句を置き、歌枕の巡礼地を廻ったのだとする。