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「反解釈」というう「解釈」

『スーザン・ソンタグ 「脆さ」にあらがう思想』波戸岡景太 (集英社新書)

進歩という名の暴力に対する、「知性」の闘い──
クィア批評やメディア論における最重要人物、ついに入門書が誕生!

【推薦コメント】
ソンタグとはいったい何であるのかに向き合い、読者の理解を促すべく仕掛けと工夫によって入門書として着地させた好著。
────五野井郁夫氏(高千穂大学教授、政治学者・『山上徹也と日本の「失われた30年」(池田香代子氏との共著)』、『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』)

スーザン・ソンタグを再びカッコよくするための試みである、この本はたぶん入門書になるにはカッコよすぎるのだ。
────北村紗衣氏(武蔵大学教授、批評家・『批評の教室』『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』『英語の路地裏』)

【おもな内容】
”反解釈・反写真・反隠喩”で戦争やジェンダーといった多岐にわたる事象を喝破した、批評家スーザン・ソンタグ。
あらゆる脆さにあらがう、その「カッコよさ」は、しかし生誕から90年を迎え、忘れかけられている。
本書は「《キャンプ》についてのノート」で60年代アメリカの若きカリスマとなったデビューから、「9・11事件」への発言で強烈なバッシングの対象になった晩年までの生涯とともに、ソンタグという知性がなぜ読者を挑発し続けるのかを鮮やかに描き出す。
自身のマイノリティ性や病にあらがい到達した思想の本質とは。

【目次】
はじめに
第1章 誰がソンタグを叩くのか
第2章 「キャンプ」と利己的な批評家
第3章 ソンタグの生涯はどのように語られるべきか
第4章 暴かれるソンタグの過去
第5章 『写真論』とヴァルネラビリティ
第6章 意志の強さとファシストの美学
第7章 反隠喩は言葉狩りだったのか
第8章 ソンタグの肖像と履歴
第9章 「ソンタグの苦痛」へのまなざし
第10章 故人のセクシュアリティとは何か
第11章 ソンタグの誕生
終章 脆さへの思想
おわりに

ソンタグの『反解釈』は「解釈しない」という「解釈」であって、権威的な解釈よりはキャンプ趣味(キッチュみたいなものだと解釈するけど)で楽しもうぜ!みたいな、だからソンタグの批判的部分の釈明ではなく面白さを伝えればいいと思う。

『反解釈』では『ラドン』のピアノ線が切れて実際に炎上してまうハプニングの素晴らしさを語っているのだった。そういう予想外の出来事を楽しんでしまおうというヒッピー文化的な側面があったのだ。

『写真論』ではダイアン・アバースのフリークスに惹かれてしまう大衆の欲望みたいな。それが自身が癌宣告を受けてそれを親友の写真家に撮影させるというスキャンダラスな事件をも予想していたと思うのだ。

そういう意味でソンタグ自身フリークス的身体性(これは老いや病では誰でも経験するかもしれないのだ)を晒したのだと思う。それは息子の解釈の違いは当然であり、そこから議論が生まれていくような問題提起としてのソンタグの姿なのだ。

大江健三郎との討論は朝日新聞という紙上でのもので、ボスニア民族紛争でのNATOの爆撃の是非という問題があったのだ。その行き違いがあったのだと思う。討論ではよくあることだと思う。

文脈ということを言っていながら、大江健三郎が隠喩として「癌」で喩えてしまったことをあげつらうけど、隠喩で語ってしまうのは大江健三郎だったら当然あると思う。

ソンタグは哲学畑の批評家なので厳密さを求めるがその行き違いが出たのだと思う。ソンタグも若い頃は癌という隠喩を使っていたという。当事者にならないとそれが差別用語かどうかはわからないのだと思う。

結局ソンタグも9.11のときは軍隊派遣に反対していたので、そのときの討論は無駄ではなかったのだと思うのだ。ソンタグも大江健三郎も論争癖みたいなものがありそれが表現の芸となっているのだろう。

それは批評家として当たり前のことなので、ソンタグのスキャンダルを述べるのはそれで興味を持つ人もいるだろうけど、それだけの興味だけではソンタグの面白さは伝えられないと思う。『隠喩としての病』は癌だけでなくエイズやウィルスが流行った後に言論界では、あらゆる場面に使われているのだ。


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