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大人にならないで老人になる

『ボクたちはみんな大人になれなかった』(日本/2021)監督森義仁 出演森山未來/伊藤沙莉/大島優子/萩原聖人/東出昌大/SUMIRE

作家・燃え殻によるデビュー作「ボクたちはみんな大人になれなかった」の映像化。note運営のコンテンツ配信サイト・cakesにて連載されたのち、2017年6月30日に新潮社から刊行された。

悪口書けないじゃないか?コロナ禍で普通に年取った中年男がネットで再会した彼女らしき人を通じて過去を回想するセンチメンタルなドラマ。渋谷系と言われたファッションや音楽を取り上げた青春映画。

この世代とは一回り違うので、結構批判的感想かもしれない。

Netflix上映会。昨日から小分けにしてやっと完走。自宅映画だと誘惑も多い(ネットとか)し、風呂映画も2時間も入ってられない(せいぜい30分)。時間についての映画のだが。伊藤沙莉演じる犬キャラさんは、ピノキオ姉さん(「100分de名著『ピノキオ』」でピノキオとして朗読した)とイメージが違うが(こっちのキャラの方が好きだ)、「犬キャラ」のような子はいそうな気がする。というか確かにいた。

犬キャラさんは、努力家で頭もいいんだけど自己肯定感も強い。「犬キャラ」というペンネームが小沢健二の小沢健二のファーストアルバム「犬は吠えるがキャラバンは進む」の略称だった。一見アホなペンネームなようでいて、奥が深い。

「ビューティフル・ドリーマー」(『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 』)(1984)の話があり、永劫回帰で文化祭が繰り返すというヴァーチャルな世界。「ハルヒの文化祭」の元ネタで「うる星やつら」だったんだとこの映画で知った。


楽しいことが永劫回帰で続くのは、面白いのか?と感じてしまうのは、カミュ「シーシュポスの神話」で永劫回帰は抜け出さなければと思う人間だからか?実存主義とかに若い頃読むと一回性の生だと思うものだ。非可逆的な時間論。だから可逆的なのはファンタジーでしかあり得ない。それを「輪廻」と言って肯定している犬キャラさんは、ネット世代の現代人なのだろうと。

繰り返しヴァーチャルなゲームを出来る人間と出来ない人間。デジタル世代ってそうなのかもしれない、と思ったのは、まあ、自分は「遅れてきた青年」時代だったから(大江健三郎を耽読するとか)、バブルにも白けていったそ、そういう才能もみいだせなかった(ネット・クリエイター)。ただネットで知り合った人は、やっぱデジタル世代だったのかと今にして思う。楽しいことが永遠に続く永劫回帰があるのかと。「大人になれなかった」のじゃなく、いつのまにか「老人になっている」。

一回性も今はちょっと違って、やっぱ季節のように繰り返すものだと(侘び寂び精神)。ただの同じ時間ではない。ヴァーチャルだと同じ時間の繰り返しになっていく。同じ景色で同じ関係性でプレイヤーは歳を重ねる。でもヴァーチャルだから仮称が出来るのだ。キャラというヴァーチャル分身。それってヨリマシ(お祓いの時に悪霊を憑依させる者)みたいだな。悪霊をそのヨリマシに憑依させて、ぶち撒けるネット社会。

「大人になれなかった」というより「大人を拒んだ」。でも、大人だからネットで別人格化して大人のふりをする。映画は、センチメンタル過ぎてそれほどでもなかった。渋谷系でもないし。そう言えばコロナ禍になってから渋谷にも行ってない。渋谷に憧れはあったけど池袋育ち新宿止まり。

『ブルーバレンタイン』という昔は良かったね的なセンチメンタルなアメリカ映画があるのだが、それと似ているかな。ただ向こうの方が残酷な現実を突きつける。それだからこそ「思い出は美しすぎて」。



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