権威主義に弱い日本人
『草の根のファシズム 日本民衆の戦争体験 』吉見義明(岩波現代文庫 )
今の社会の状況が敗戦前の状況に似ていると思った。あいかわらず経済大国であると信じる政治家や人々。この時期に及んで新聞報道は政府のありかたをニュースとして伝えるだけ。朝ドラが笠置シヅ子のブギウギなのも景気づけという感じ。未だに日本の敗戦を信じていなかった人々なのである。あの敗戦の後はアメリカがやってきて都合よく立て直してくれた。今はどうだろう?もうアメリカからも相手にされず経済破綻していくのだろうか?そう悲観的気分なのも「草の根ファシズム」という大政翼賛的な傾向になりやすい国なのだ。
戦争時に補給部隊もいずに現地調達としていた軍部の先行きのなさ。そして聖戦を煽って、占領地での略奪、殺人、強姦の数々。今のロシアより酷いかも。まあ、それが戦争と言ってしまえばそれまでなんだが。補給せずに戦争に勝とうとした上層部とそれに従属していくしかなかった大衆。軍国主義を信じて中国行って敗戦で反省して労働組合の長になり、社会党で議員になったけど離脱してというオヤジの行き先がわかるような気がする。流されるままなんだよな。
第1章 デモクラシーからファシズムへ
2.26事件の後、大衆は軍部批判が多かったのだが、中国に進出することになり日中戦争になると勝つことが求められて、またそれにより日本がアジアに対する役割として聖戦思想が言われるようになる。それはアジアの欧米侵略に対抗できるのは日本だけだという間違った観念であり、実際に中国へ出征されるのは、行き詰まりの経済の中での貧困層の農民であり、彼らは働き手であるにも関わらず年老いた両親や幼い兄弟を置いて戦地に行かねばならず、戦地では中国人から歓迎されていると言い難く、理想の聖戦というより戦争の極限下の世界であり、物資は送られてこず現地調達ということで略奪が横行し、協力的でない村は焼き払い反乱軍の陣地となることを恐れていた。その中で捕虜を収容する収容所もなく、国際法にも疎い兵士たちは、捕虜の扱いは殺すことしかなく、それがシベリア抑留の時もジュネーブ協定を言い出す人はいなかったので残酷な仕打ちに耐えるしかなかった。
あきらかに上層部の知識のなさや強行論なのだが、戦地に行った兵隊は地獄のような日々を過ごした後に帰還兵として熱烈歓迎されるので、余計に日本精神の虜になって、後進の指導なんてことをする。選民思想と差別意識の構造。
そういう兵隊の証言は厳しく咎められていたのだが、一般兵の証言をこのように集めたのは価値がある。そういう中に批判精神の中に虚構を盛るような話はあったかもしれない。それが一部の偽証が南京虐殺はなかったとされる根拠にされるのだが、次第に明らかになりつつあるのはこういう証言と共に検証だった。今そういう戦争を知る人が亡くなりつつあり、ふたたび隠蔽するような社会にあって、こういう本を読んで知ることは重要なことだと思える。
特に物資不足で現地調達の略奪が敗戦国の運命だと思った兵士は多かっただろう。戦争に負けたときにまっさきに逃げたのが関東軍であったということだ。そこに残された在留日本人の悲惨さは、前例があったからなのだ。
第2節 民衆の序列
そして差別の構造が、日本人→沖縄・アイヌ→台湾・韓国・朝鮮→中国人というようにヒエラルキーとしてなっていくのは、例えば本土で差別された者が植民地の人を差別して、さらに植民地の人が占領地で差別するという差別の構造そのものが今も中小企業のオヤジたちがより貧しい者を差別して、さらにその差別されたものが女性や知識がないものを差別するという構造。そして上に従属するほど甘い汁を吸えるというパターンが戦時から続いて来た自民党政治なような気がする。
第3章 アジアの戦争
ほとんど補給経路もなく現地調達で各部隊に任せっきりで進撃命令するだけの上層部。略奪、殺人、強姦が当たり前の世界になる戦争。それらを「聖戦」の名だけを信じ込ませていた洗脳教育。それは批判がなかったマスコミや文化人にも言える。ジュネーブ協定を知らなかったから捕虜の扱いは人権無視でいいと思っていた人々がソ連軍の捕虜になってシベリアで人権無視の収容所生活していても抗議すら出来なかったという。まあ、日本人の捕虜の扱いも酷かったのは、後の文学で描かれることになるのだが。そしてアメリカの捕虜生活がジャングルの戦争よりどんなにありがたいかと知ることになる。アメリカの民主主義教育が天国と思った人も、自分の頭で考えるというよりは、従属民族そのものだったのだろう。権威主義的なものに弱い日本人は、社会のあらゆる場面に遭遇してきたような気がする。
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