見出し画像

シン・俳句レッスン45

夜の金木犀。夜の帰り道あっちこっちから金木犀の香りがしてくる。中毒になりそうなぐらいに。今夜の一句。

二軒目も夜のしじまに金木犀

呑兵衛さんのイメージで。

早速Bardで批評。

二軒目も夜のしじまに金木犀
二軒目で語り合う二人
夜のしじまに金木犀の香り
二人の心を包む
意味
二軒目の居酒屋で語り合う二人。夜のしじまに金木犀の香りが漂う。その香りが二人の心を包み込む。
解釈
この歌は、夜のしじまに金木犀の香りを嗅ぎながら、二人が心を通わせている様子を描いたものです。
二人は、二軒目の居酒屋で語り合っています。夜のしじまは、二人の心を落ち着かせ、語り合うことに集中させてくれます。そして、金木犀の香りが、二人の心を包み込み、より親密な関係へと導いてくれます。
この歌は、二人の恋愛を描いたものであると解釈することもできます。夜のしじまと金木犀の香りは、二人の恋愛を盛り上げる要素として描かれています。
感想
この歌は、夜のしじまに金木犀の香りを嗅ぐことで、二人の心が通い合う様子がとても美しく描かれています。金木犀の香りは、二人の恋愛を象徴するような存在として描かれており、とても印象的です。
この歌を聴くと、夜のしじまに金木犀の香りを嗅ぎながら、大切な人と語り合うような、そんな幸せな時間を過ごしたくなります。

随分褒められた。金木犀効果かな。この調子で今夜も俳句レッスン!

芭蕉の繰り返し表現

「芭蕉の呼びかけ表現」にもリズムを作るというのがあったのだが、俳句の口承性はリズムにあり、芭蕉も句作に対して「舌頭に千転せよ」(口承で千回繰り返してみよ)と言っている。何より大事なのが詩のリズムであり、その一番簡単な方法が言葉を繰り返すことなのである。

奈良七重七堂伽藍八重桜  『泊船集』
おくられつおくりつはては木曽の秋  『阿羅野』

芭蕉の句は単純さの中に複雑さがあるが、「ななしちどうがらんやえざくら」なが繰り返されて七が八につながっていくリズムをつくっている。二句目は言葉の繰り返しだが受動と能動で意味の対比でリズムを生み出す。歌の繰り返しは呪術性の名残だという。繰り返しよって聞き手に言葉を印象付けるのだ。

また言葉を強調するレトリックでもあるという。

京は九万九千くんじゆうの花見哉  『夜の錦』
起きよ起きよ我が友にせん寝る胡蝶  『俳諧石摺巻物』

また昔話の繰り返しなどはくつろぎをもたらすという。

なりにけりなりにけりまで年の暮  『俳諧江戸広小路』
見渡せば詠むれば見れば須磨の秋  『芝肴』

一般に省略が表現の冗長性を低める効果があり、反復はその逆のように思われやすいが、効果的に使えばそうはならない。

奈良七重七堂伽藍八重桜  『泊船集』

重奏的イメージが桜をより引き立たせている。


異端の系譜

川名大『昭和俳句 新詩精神(エスプリ・ヌーボー)の水脈』も第三部に入った。前回、中谷寛章『俳句の成熟』ついて全共闘運動がその背景としてあったのだが、その後は反動として伝統俳句が盛り返していく。虚子の言葉。

俳句は伝統の文芸あります。十七字、季題といふ極端な制限がある限り根底からさう新しいことができるものではありません。いわば古い壺であります。

昭和10年8月「虚子俳句」

それによって俳句の自己目的化と固定化があり、俳句の内実としての自意識は必然的に俳句を変革していくことになる。俳句の近代化が正岡子規によって俳諧(連歌)から発句として切れるために自立していくのが「俳句」だったのだ。俳諧に戻ることは、反動的だと言わねばならないとするのが新興俳句だった。まずなによりも近代詩として独立すること。

その流れで新傾向俳句運動と新興俳句運動があった。新傾向俳句運動は河東碧梧桐から自由律俳句として、荻原井泉水から尾崎放哉、山頭火という俳人を生み出す。

うしろ姿のしぐれてゆくか  種田山頭火
入れものが無い両手で受ける  尾崎放哉

彼らの俳句は極端な〈私〉俳句であり、虚子の「ホトトギス」からは生まれるはずもなく排除された。

一方、新興俳句も山口誓子の映画からのモンタージュ理論からの連句や高屋窓秋の新詩精神(エスプリ・ヌーボー)によって個人の内面を切り開いていく。

頭の中で白い夏野となっている  高屋窓秋

高野窓秋はまだ「ホトトギス」の影響下であり季語俳句となっているが、それをさらに推し進めたのが高屋窓秋が「ホトトギス」を脱退して作った「馬酔木」に引き継がれる。その中で新興俳句の面々が活躍する時代となるのだった。

水枕ガバリと寒い海がある  西東三鬼
戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉
蝶落ちて大音響の決氷期   富沢赤黄男

しかし「京大俳句運動」によって「新興俳句」は弾圧されると、戦時下では「社会性俳句」は詠めなくなっていく。その隙間を突いてでてきたのが「人間探求派」であった。

鰯雲ひとに告ぐべきことならず  加藤楸邨
蟾蜍(ひきがえる)長子家去る由もなし 中村草田男

さらに戦後になって「社会性俳句」も復活して、金子兜太「造形俳句」などが作られていく。

青年へ愛なき冬木日曇る  佐藤鬼房
夜の芍薬男ばかりが衰えて 鈴木六林男
白い人影はるばる田をゆく消えぬために 金子兜太

金子兜太の「造形俳句」は新興俳句の遅れとしてやってきたもに過ぎないと読むのだ(川名大の「異端の系譜」)。

〈造形〉は直接結合を切り離し(俳諧的なものからか)、その中間にー結合者としてー〈創る(フィクションの)自分〉を定着させようとする。

わが湖(うみ)あり日陰真暗な虎があり  金子兜太

主体という考え方を立てることによって、〈現実〉とは、外なる社会だけではなく、自分の内面も加わることに気づき、孤独とか愛のメタフィジックには、抜きさしならぬ状態で〈社会〉があることを、改めて知るのであった。

金子兜太「社会性の行方」ー「俳句研究」


乱反射

金子兜太の批評を受けて新たな戦後派世代からポスト戦後派世代へと受け継がれていくのが『現代俳句入門』批評する坪内稔典の繋がりかもしれない。

「個の凍結とその時代ー昭和四〇年代の問題」宇多喜代子

「〈私〉の居ない風景」足立悦男

は前回見ての通り。

今日は続けて、
「〈発句〉の変貌ー切字論・序説」仁平勝
「戦後俳句と西洋詩の交差ー高柳重信と翻訳詩」を見ていく。

「〈発句〉の変貌ー切字論・序説」仁平勝


俳句を俳諧的付句としての発句から、独立して「俳句」に成っていったのは正岡子規の近代化を踏まえてなのだが、そこ子規の系譜を継ぐと宣言する坪内稔典における「発句形式」についてラジカル(根源的)な問いとして「連歌」からの切れの空白は日本語表現の根底にある表現の型(伝統)を乗り越えようとするものであり、季語に於ける自然の成り立ちよりも切れによる自我発露の方が重要であるという。それは金子兜太の「造形俳句」を受け継ぐものであるかもしれない。
それは良基『連理秘抄』のドグマ。

所詮、発句はまづ切れるべき也。切れぬは用ゐるべからず。かな・けり・らんなどのやうの字は何としても切るべし。物の名風情は切れぬもある也。それはよくよく用心すべし。

良基『連理秘抄』

これは和歌的な雅な世界から江戸の滑稽さやイロニーと言ったブルジョアジーの台頭する世界であった。個の確立である。

「詠嘆」を基調としない俳句は必然的に体言に愛着する。俳句は時間の法則に反抗し、様式の時間性をみずから拒否する。(略)芭蕉も「切字なくては発句の姿にあらず」と言っている通り、それは季題の約束以上に重いものであった。

山本健吉『挨拶の滑稽』

しかし山本健吉は様式美として切字を求めるあまり、美学的観点から述べており、その後にはマンネリズムに陥っていく。

もっともこのような「かな」は濫用されてマンネリズムを生んだのである。句会に行って、例えば「椿」という席題がていると小短冊に十本ばかり「椿かな」という字を書き込んで、あとは大急ぎで上の五七を埋めるといった方法である。(略)だが俳句くさいということは、また一面俳句固有の対象把握を含んでいるのである。

山本健吉『挨拶の滑稽』

結局マンネリズムを否定しながら、そこに俳句固有の型があると見るのだ。これは俳句入門書のハウツー本にありがちなことではあるが、そこから抜け出せないでいつまでも型がついて廻るのだ。

或る僧のきらひし花の都かな  凡兆

山本健吉が「かな」の形式化でないとしての例で「軽く言い取って心を残さぬ心にくい『かな』である」とする凡兆の句は滑稽さを呼応しながらのイロニーである。それは万太郎の「かな」とは明らかに違うものなのだ。

枯藪をうつせる水も二月かな  万太郎

万太郎の「かな」は詠嘆を基調としているのだ。山本健吉は定形の美学的形式化に囚われている。例えば現代俳句の「かな」を用いた俳句には彼の理論は通用しない。

まなこ荒れ
たちまち
朝の
終わりかな  高柳重信

リラリラと前世からの射精かな  加藤郁乎

「戦後俳句と西洋詩の交差ー高柳重信と翻訳詩」夏石番矢

日本の近代詩で翻訳詩が新しい日本語を生み出し、それが詩的言語として流用されていく。堀口大学『月下の一群』はそうした翻訳詩である。その中にフランス象徴詩人グーグルモン『水車』は特に当時愛唱された。

水車
シモオン、水車はひどく古い
輪はむす苔に青い、輪は廻る大きな穴の奥。
気味悪く輪は過ぎる、輪は廻る、
果てしない苦役のためと云ふやうに。
(略)
挽臼たちは働いている、泣いている、廻つてる、つぶやいてる、
昔の昔から、世界の始めから。
気味悪く輪は過ぎる、輪は廻る、
果てしない苦役のためと云ふやうに

堀口大学『月下の一群』からグルーモン『水車』

そのグルーモンの詩から高柳重信の作品が生み出される。

蒙塵や
重い水車の
谷間の
 石臼

厚き苔敷く
  谷間の
  墓地の
仮睡の水車

高柳重信『伯爵領』

高柳重信は堀口大学『月下の一群』を病弱な青春時代に読み(特に気に入ったものは◯印が付けられていたいう)。それを自身の境遇に置き換えていった。『水車」はシオモンといは「シモーヌ」という女子との恋愛詩に繋がるという。高柳重信が煩悶する青春時代にあって影響されてもおかしくはない。

遂に
  谷間に
見出だされたる
桃色花火

汽車が
虹が
雲が  税吏が
見下す谷間

高柳重信『蕗子』

さらに同じ頃の作品では「谷」にポーの「不安の谷」(日夏耿之介「幽谷不安」)の影響も感じさせるという。

吹き沈む
野分の
   谷の
耳さとき蛇

高柳重信『伯爵領』


この記事が参加している募集

#朝のルーティーン

16,115件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?