五月晴れコンクリにまた猫の足あと
「猫の日」を作ってしまったらその日は怠ける日になってしまった。これはいかん。今日を最後で猫の日は止めよう。代わりに犬の日になったりして。そういう精神だからいかんな。人間にならなければ。妖怪人間ベムか?
昨日はほとんど活動なし。読書もすぐに飽きてしまうし、かろうじて「聴き逃し」でNHKのラジオ講座を聞いていた。書記をすることでそれが予言とするのが詩人の役目だった。詩人になりたければ書記をすることだ。文字の意味はそこにあるのだと思う。「未来日記」的な。
聴き逃しでカルチャー・ラジオ「平安時代の和歌」を聞いた。
西行と俊成(しゅんぜい)。藤原俊成は(しゅんぜい)というのかと今回始めて知った。その程度だった。藤原定家が(さだいえ)なので音読みなのかと思っていたのだ。まあ、それでもほとんど定家(ていか)と読んで変換できないでいた。でもウィキペディアでは「としなり」だったな。「しゅんぜい」の方が学者っぽいのかもしれん。藤原俊成もいいのだけど、今回は西行である。シン・短歌レッスンでも西行の項目を設けてやっているほど和歌では尊敬する歌人になりつつある。
西行が釈迦入滅の日になくなったのも書記による力が大きかったかなとも思うのだ。無意識的に文字は意識の中に刻まれるのだというのが書記の効用でもあると思っている。だから「猫の日」なんか設けると猫になってしまうのである。
聴き逃しでもう一講義。「漢詩を読む」も聞いた。こっちは「端午の節句」の語源である。時節は日本にもともとあったものではなく中国伝来のものだということが改めて確認出来た。
読書は『窯変 源氏物語』の「真木柱」。なんかそれほど面白くないのは、橋本治だから期待し過ぎなのかな。黒髭大将の北の方がもののけに憑かれて黒髭危機一発状態なのだが、「もののけ」は原作では六条御息所だったのが、そこは科学的に単なるヒステリーとしているのだが、そう思うけど物語的には面白さに繋がらないな。その娘「真木柱」の置かれた状況も当たり前の感情しかないような。強いてあげればその下の弟たちが健気であるという感じか。弟たちにスポットを当てるのは橋本治らしいかな。女は感情的な生き物で男を奈落に突き落とすというのは『魔の山』とかと同じ思考かもしれない。
昨日『魔の山』は読まなかった。難しい本なのだが100p.目標に毎日読まなければ返却期間まで読みきれないな。今日は読むこと。
『銀河鉄道の夜』は初稿を。後でカットされたというのだが、「銀河鉄道」が彼岸行なのは、乗客にタイタニックで死んだと思われる人がいるからだ。タイタニックが沈没した時期なのか?
林桂『船長の行方』は「加藤郁乎論へ」。シン・俳句レッスンの項目なのでここでも躓く。
寺山修司『戦後詩』。シン・現代詩レッスンのテキストに借りてきたのだがいきなり現代詩(近代詩)の否定から入っているので、戸惑ってしまう。活字化するのは詩の社会化であり、個人の声は失われるということなのだが。そうか寺山が詩と考えていたのは即興詩でジャズみたいなものだった。
このあとシン・現代詩レッスンをやる。とにかくやる。
音楽はチャイコフスキーを聞いた。聴き逃しラジオ。
チャイコフスキー「ハムレット」は爆音音楽だった。かなり好き。というかこの指揮者は好きかも。
アンドレア・バッティストーニ。いかにもラテン気質っぽい。
今日の一句。
今日の一首。
猫の足あとを「・」で表現した。
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