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午前四時に路上で遊ぶ子供たち

なんでミンガスのおっさんがこんな表紙になっているかというと画像がないのである。noteの人はさすがだ、こういう映画でもレビューが載っていた。

『そして俺は、ここにいない。』(Netflix/メキシコ/アメリカ/上映時間:112分)監督:フェルナンド・フリアス 出演:ダニエル・ガルシア

クンビアは南米の音楽で映画の中ではコロンビアのクンビアをテープをスローにして踊っていたが、土着的なリズムと哀愁漂う旋律が特徴。

メキシコ好きなチャーリー・ミンガスが最晩年(遺作)として出したアルバム『クンビア&ジャズ・フュージョン』がジャズディスク大賞の快挙だったので記憶にあるのだが懐かしい。

クンビアのリズムで踊る少年はアメリカへ来たがそこは希望の国ではなかった(トランプの移民政策後か壁が作られていた)。いつまでも英語を覚えないメキシコ移民である彼には最低限の仕事しかなく、それさえも無くなって、路上でダンスをするのが日銭稼ぎだが、警察の取締が厳しく国に送還される。そこはアメリカよりも希望のない街で、暴力と麻薬が支配する国だったのだ。かつての仲間はみんな死んでいくそんな夢の中の思い出(彼はそのチームのリーダーだった)。

なによりもクンビアの物悲しい旋律と土着的なリズムが哀愁を誘う。その中で彼のダンスは自由に羽ばたく鳥になりたかったのかもしれない。鳥だったら壁を超え自由に往来出来たのかもしれない。

P.K。ディックの『暗闇のスキャナー』で午前4時にコンビニの前の路上でたむろする若者たちを追悼するあとがきがあるのだが、まさしくそんな子供たちの彼も一人なのである。ルールを知らない、まだ遊んでいられると思ったが仲間たちは次々に死んでいく絶望世界。そのなかでただクンビアのリズムだけが彼に踊ることを許してくれるただ一つの生きる証のような映画だった。


そういう子供たちはどこの世界にもいるのだろう。言葉もルールも違う国にやってきた拠り所のない子供たちの映画だ。中華系の少女が彼と友達になろうとしたが言葉が通じなかった。それよりも文化の違いかな?

#青ブラ文学部
#鳥だったら


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