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俳句は俳諧の「発句」から来ている

『角川俳句ライブラリー 十七音の可能性』岸本尚毅

五・七・五――たった十七音の俳句がもつ、無限の文学的可能性。

十七音に季語ひとつ。いわば最短の詩歌である俳句は、なぜこれほど日本人に詠まれ、親しまれてきたのか。古典から近現代の俳人たちの名句を取り上げながら、俳句表現の可能性と多彩な魅力に迫る。新しい俳句入門!
目次
近現代俳句の多様化
ひらめきの瞬間―比喩の達人
無意味な世界を描く
俳句と天才
俳句における写生の技
俳句の印象派
人間探求派をめぐって
短さを極める
五七五の変奏―変則的定型派

言葉が導く風景
俳句のシュールレアリスム
戦後生まれの異才
作者の顔が見える俳句

岸本 尚毅,宇井 十間『相互批評の試み』で岸本尚毅の俳句に対しての論理がわかりやすく、それまで疑問に思っていたことが整理できたので、再び岸本尚毅の俳句の本を読んでみた。俳句の歴史性みたいなものが、結社とか入っているとそれとなく知ることができるのだろうが、そうでない人はわかりにくい。ただ言われた通りにすればいいと言われても素直になれないことも多いのが俳句だった。

まず俳句が俳諧の「発句」から来ているように俳諧の連句の中のから出てきたものだ。正岡子規は近代のアイデンティティを「発句」に求め「俳句」として独立させた。しかし虚子はそれを再び「俳諧」の精神に求めていく。それは日本の伝統がその精神(結社というのもそういコミュニティであり共同体としての精神)にあるからだと見たからだろう。

近代詩は西欧の詩から個人のアイデンティティ(自我)を求めて成立した過程がある。そのときに詩人たちも叙情詩(自然な感情、郷愁とか故郷とか)と自由詩(現代的都市生活者=モダンとしての意識)の中で葛藤していくのだった。俳句の伝統俳句と新興俳句の葛藤もこのへんにあるのかもしれない。自由律が短詩ではない理由は、俳諧としての連句性というあるからだ。そのことから理解すると虚子の生活俳句も花鳥諷詠も理解できる。そして、その発句は挨拶と見たのが虚子の俳句の精神としてあるのだ。なにやら道徳的なのはそういうところか?

有季定型の俳句にも字余りや字足らずが名句として上げられる。最初、それに戸惑ったが理屈を読むとなるほどと思うが、それでも初心者には有季定型を守れという不条理さ(それはまだ俳句のリズムがわからないからだという)。リズムということなんだが、どうも自分のリズムより世界(自然)のリズムの方が大切らしい。それは日本人古来からある「花鳥諷詠」のリズムだと虚子は主張するのだが。そうは言っても都会人は「花鳥諷詠」の自然をなかなか感じることが出来ないから無季に走るのではないのか?

凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり  高浜虚子
と言ひて鼻かむ僧の夜寒かな   高浜虚子

虚子も字余りや字足らずの俳句を作っているのだ。最初の句なんて初句が一三音だ。こんなんでいいのか?早口で読めばいいと言う。そんなもんだ。ただ頭でっかちを七音五音とすることで納めていくのがいいらしい。下五が決まるといい句になるという。

例えば

みちのくの鮭は醜し吾もみちのく 山口青邨
落椿われならば急流へ落つ    鷹羽狩行

鮭も椿も自然の流れの中に吾が入りリズムを乱す。しかし最後は俳句という一句の流れの中で収まっているのだ。川の句や道の句が良い句とされるのは、そういう自然の流れと吾の乱れた心が最後には統一される精神性にあるのかもしれない。

広場に裂けた木塩のまわりに塩軋み    赤尾兜子
ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥  赤尾兜子

赤尾兜子は変則的定型俳句を多く作ったが、それはそのような自我のリズムがあり、それを俳句という自然の中に収めようと格闘した。「広場に裂けた」も「ささくれだつ」も自我のリズムだ。それが自然の中に収まっていくことから、彼の俳句は自由律ではなく、俳句の変則型と見られる。

俳句もまた「自分探し」(アイデンティティ)を求めてきた文学だという。例えば三橋敏雄は言う。

私の概念規定で「俳句とはどういうものかな」と考えると、有季定型の「伝統的」な句、すなわち前に行った「発句」が90パーセント。あとは無季の句、そして同根の川柳が並びます。つまり、俳句の中には「発句」があって、無季俳句があって、川柳があって、狂句もあって、国際的な外国の「俳句」もあって、それらを全部「俳句」と考えると非常にうまく分類できると思います。「発句」には絶対的に季語がなければいけない、五七五である。これは厳然としていますね。そして川柳と発句は明らかに違うんですが、無季の句を認めると川柳との境目がはつきりしなくなっちゃう。

『三橋敏雄』「対談 わが俳句を語る」

俳句の「発句」的成り立ちを考えると「俳諧」から来ている。そこに近代詩のようなアイデンティティを求めた正岡子規の「俳句」が誕生した。しかし、それは近代詩が求めていた自由詩とはまた違う。俳句と自由律であるかどうかがまず問われる。そして俳句と川柳との違いを。


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