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シン・短歌レッス42

ナガミヒナゲシ。外来種だけど生命力の強さなのかあっちこっちの路上に咲いている。ヒナゲシは初夏の季語だった。芥子の花。虞美人草。今日の一句。

虞美人草他所の花壇に幅利かす

日曜はNHK短歌の日だった。4/10締め切りは投稿出来なかった(すでに4/11だった)。4/17締め切りは後で考える

「NHK短歌」投稿句の反省。投稿歌を覚えてないのだから投げっぱなしになっていた。これはいけない。どこに記録するか悩む。メールにしているのだがなかった。

「公園」は具体的な公園玩具の歌が入選していた。具体的なものの描写ということかな。特選は金魚のお墓。公園だけど違う視点が入っているからか。難しい。

NHK短歌今週の投稿は、間に合わなかった。

『源氏物語』和歌

高野晴代『源氏物語の和歌』

高野晴代『源氏物語の和歌』は、『源氏物語』の各帖から一首ずつ和歌を取り出して解説した本。非常に良い。一首だけしかないのが残念なのだが解説が詳しい。

掲載歌は、光源氏の母である桐壺更衣が桐壺帝に返した歌で、桐壺帝の歌は

限りあらむ道にも後れ先立たじと契らせ給ひけるを

と詠んで「さりともうち棄てては、え行きやらじ」というのは、帝の「このまま私をうち棄てていくことはあるまいな」という未練の歌なのだ。その返歌として「限り」「道」「行く」という三語を織り込んで、それは生きる道だと逆説を詠んでいるのだった。命ある限り欲望のままに生きようとする母上から、光源氏は受け継いだ。『源氏物語』の核心を突く歌であるという。


『源氏物語の和歌』十首

今日は高野晴代『源氏物語の和歌』から。この本は源氏物語54帖から和歌を取り上げ解説したもので『源氏物語』入門書でもあり和歌を学ぶ上でも大いに役立ちそうな気がする。

(夕顔)
山がつの垣は荒るとも折々にあはれはかけよ撫子の露  

『源氏物語 帚木』

夕顔が頭の中将に娘(後の玉鬘)のことを気にかかけてくれという歌。「山がつ」は山賊で自分を卑下した言葉で、「撫子」は娘。頭の中将の返歌は、

(頭の中将)
咲きまじる色はいづれと分かねどもなほ常夏に如(し)くものぞなき

『源氏物語 帚木』

古今集「塵をだに据えじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝る常夏の花」を踏まえているが見当違いの答えで、すでに正妻から強迫を受けているのだがそれに気付かない。

(空蝉)
空蝉の羽におく露の木(こ)がくれて忍び忍びに濡るる袖かな 

『源氏物語 空蝉』

空蝉の羽のように残して去ったがその木陰で泣いているという。平安時代の歌人伊勢の引歌をそのまま用いたという。その前に光源氏が弟の小君に託して姉である空蝉(人妻)に歌をとどけさせている。

(光源氏)
空蝉の身をかへてける木(こ)のもとになほひとがらの懐かしきかな

『源氏物語 空蝉』

(光源氏)
見し人の煙(けぶり)を雲とながむれば夕べの空もむつましきかな

『源氏物語 夕顔』

夕顔を廃院に連れ込んだ光源氏であったが物の怪(六条御息所ではないと思う)のせいで夕顔が死んでしまい詠んだ和歌。歌を作るなんて余裕じゃないかと思ったら、この歌は紫式部が自身の夫(藤原宣孝)を偲んで詠んだ歌に似ているという。

見し人の煙となりし夕べよりなぞむつましき塩竈の裏  紫式部

『紫式部集』

ほとんど同じと言っていいかもしれない。

(藤壺の中宮)
世がたりに人や伝へむ類(たぐひ)なく憂き身を醒めぬ夢になしても

『源氏物語 若紫』

藤原の中宮との密会を果たしたあとの朝(きぬぎぬ)の歌。
光源氏の歌の返歌。

(光源氏)
見てもまた逢ふ世まれなる夢の中にやがてまぎるるわが身ともがな

『源氏物語 若紫』

光源氏の歌から「夢」「身」「まれなる」を取っているが歌の内容は光源氏との乖離した心情を詠っている。人の噂を気にして夢も醒めやらぬという心境。その予感通りに藤壺は光源氏の子供を懐妊するのである。

俳句レッスン

今日は川上弘美『わたしの好きな季語』から十首。珍しい季語や普通の俳人なら選ばない選句が面白い。

傾城(けいせい)の蹠(あなうら)白き絵踏みかな  芥川龍之介
トラックが婆拾ひ去る雪間かな  上田五千石
春の風邪あなどりあそぶ女かな  三宅清三郎
物の芽のほぐれる朝寝かな  松本たかし
すかんぽや人が通れば泣きやむ子  青木稲女
あらうことか朝寝の妻を踏んづけぬ  脇屋善之
木蓮や母の声音の若き憂し  草間時彦
蛤の上に一把や馬刀の貝  松瀬青々
日の昏れてこの家の躑躅いやあな色  三橋鷹女
チヽポヽと鼓打たうよ花月夜  松本たかし
はるうれい乳房はすこしお湯に浮く  弘美

川上弘美『わたしの好きな季語』

「絵踏み」が季語だなんて。旧暦の1月に隠れキリシタンが多い九州では行事になっていて、遊女たちが美しい衣裳を纏って絵踏みをするので、多くの見物客が集まったという。芥川の句の「傾城」は城を傾けるほどの美人、「蹠」は足の裏。物語が出来そうな句だった。現代の歳時記には載っていないという。
上田五千石の句は「雪間」が季語。積もった雪が溶けはじめて地面がまだらになった様子で春の季語。「雪」とか「雨」とかの季語は多そうで覚えておきたいかも。

「春の風邪」は「冬の風邪」に比べて艶っぽいのだそうだ。なんか目が潤んでいる感じかな。花粉症だとちょっとだけど。
「物の芽」はなんでもない木の芽が緑に出てくる感じだが「物の怪」のような語感がただの木も怪しく感じる。
「すかんぽ」は田舎とかに生えている野草でしゃぶるとすっぱい味のする奴だった。血止めにもなるので「イタドリ」とも。外来種だとは知らなかった。ロシア人の俳句で「すかんぽのボルシチ」を詠んだ句があったという。ロシアは俳句がさかんなのだそうだ。
「朝寝」は春の季語。無為な存在がいいと。無為の俳句はいいもんだ。
「木蓮」だと紫の花で、白い花は「白木蓮」となるそうだ。逆に考えていた。白木蓮が木蓮だと。あと木蓮はコンパルフラワーと言われて蕾はみな北を向いているのだそうだ。もう確かめられない季節だけど、来年確かめてみたい。
「馬刀(まて)」はマテ貝のこと。関東では出回らないよな。食べてみたいかも。

「躑躅」がなんか苦手というのは分かる気がする。蕾は攻撃的で毒々しいんだよな。得にピンク躑躅がそんな感じだという。
「花」といえば桜。「月」といえば中秋の名月。そのへんのお約束はなんでと思うが、もうそういうものなのだ。桜の俳句はうんざりするのが多いが「チチポポ」とオノマトペ、それが鼓の音と桜の散る姿なのか?松本たかしは能楽師の息子だった。
「春愁」と「秋思」の対比。春は愁える感じなのか。それにしても川上弘美の俳句の面白さ。

映画短歌

今日の映画は『トリとロキタ』。

義兄弟ここが別れの
道ならば
教えてくれた歌だけの道

人生劇場みたいになってしまった。本歌取りの練習だった。もっと平安朝にならんものか?義兄弟が強すぎる。

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