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シン・短歌レッス77

和泉式部の和歌


      春霞立つや遅きと山河の岩間をくぐる音聞こゆなり                  和泉式部


「春霞立つ」は「霞立つ」と「立春」の合せ技。「立春」の喜びの歌っているという。紀貫之の本歌取りだろうか?

袖ひちてむすびし水の氷れるを春立つ今日の風やとくらむ  紀貫之

『古今集・春上』

和泉式部の『百首歌』で春夏秋冬恋各20首ずつ詠んだという。やっぱこのぐらい努力しなければ駄目なんだな。『百人一首』の本歌取り終わったら、これに挑戦だな。目標ばかりで追いつかない。

古今集

『古今集』は正岡子規の『歌よみに与ふる書』によって紀貫之は罵倒され古典和歌ならば『万葉集」のほうが優れていると見なされた。この正岡子規の歌論に影響を受けた人もおおいのじゃないかと思う。

それでも正岡子規の短歌の中にも『古今集』的なるものがあるという。それは日本人の美意識の中にある「こころ」と「ことば」だという。四季折々の変化を感じる季語的な言葉は日本人のこころだという。

例えば唱歌「早春賦」

鶯の谷より出ずる声なくは春来ることを誰か知らまし  大江千里

『古今集・春上』

春霞立てるやいづこ吉野の吉野の山に雪は降りつつ  詠み人知らず

『古今集・春上』

「春霞立てる」は今日の和泉式部でもやったな。

春霞立つや遅きと山河の岩間をくぐる音聞こゆなり

新しいところでは大瀧詠一の「夢で逢えたら」は小野小町の夢の和歌と関係があるという。

他にもありそうだ。森田童子とか?


『百人一首』本歌取り。

旬杯三句。

「うたの日」は、「凡」。
『百人一首』は

凡人の盆送りとて本を読み行方も知らぬ歌の道かな

♪ひとつ。最低点だ。もう嫌になるな。

映画短歌

『幾春かけて老いゆかん 歌人 馬場あき子の日々』

『百人一首』は

「人こそ見えね」は使えるかな。7番をやってなかったみたいだから月だし神話的短歌としてはいいかも。

怨念は人こそみえね道成寺蛇姫閉じて欣求(ごんぐ)時雨れて

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