シン・短歌レッスン4
町田の飲み屋の看板だと思うのだがちょうどサイズ的に使えそうだったから撮ってきた。いろいろいるな。でもなんとなくわかるから凄いよな。吉田沙保里もいた!だよね。違うか?
塚本邦雄短歌
すでに10時近くになって今日は出遅れた。一日部屋にいるからという余裕を持っていることもあるな。
塚本の歌もこのぐらいだと理解し易い。詩歌の世界も黄昏くれないというのは釈迢空と似た考えで滅びの最中で歌を詠んでいる。それが「青き菊の主題」なのだろう。菊は日本の国花であり、それが青いなんてあり得ないのだが「紫苑」があるか?ただ塚本邦雄の青はもっと人工的な青のような気がする。
『往復書簡 限界から始まる 』上野千鶴子 , 鈴木涼美
「承認欲求について」
例えば男としての価値が金を稼ぐことにあるとして上には上がいるから、そこで下のものを見くびることで承認欲求を得るとする。その虚しさというか自身の価値ではなく他人との比較によってランク付けをする。それはSNSのいいねの数だったりするわけだ。そうするとその数だけを稼ごうとすることによって承認欲求が高まるがその満足値はどこにあるのか?トップを見極めたいのか?その無駄な努力と智慧を自分のために使えれば他者の評価など気にしない。つまり他者に自己評価を売り渡す必要もないわけで、自分が好きなことをやっていれば良い。それは自分の好きなことを受動的にやるのではなく能動的に愛することだと上野千鶴子は言っている。
これは男の話でしたが女だったら男から承認欲求を受けることで価値が上がる、それはいい女という性的なはけ口にしかならずそれが気持ちいいセックスだと勘違いしているというのだ。それは若さゆえに性的価値は上がるが年取るに従って減価償却されていくように価値が下がっていく(熟女ブームというのもあるが、基本価値が下がると無理なSMとかやらざる得なくなる)。そういうことです。最終的に家父長制的な中央集権的なものがあり、ピラミッドの頂点に簒奪されるようなシステムが資本主義なのだ。だから金持ちは女を買うしその取り巻きも多くなる。が、金がなくなればみるも無惨な姿を晒すことになる。
技術としてテクノクラートは金を稼げるが、芸術は価値を生み出す。それは他人による承認欲求ではなく能動的な愛の行為なのだ。愛とか言うとちょっと臭いけど。ラブ・ファンタジー幻想はどこの世界にもあるのだが、ロマンティック・ファンタジー幻想(ハーレクイーンのような)待っているだけじゃ駄目なのだ。
模範十一首
今日も中条ふみ子だった。愛だからね。
「掌のとりこ」とあるからダンス教室の中の恋愛だろう。
「金属板ごときシーツ」は大袈裟な気がするが。
「愛」の意志がなかったのだろう。
「従順な妻を打擲(ちょうちゃく)して」これは誰のことを言っているのだろう?中条ふみ子は従順な妻ではなかった。そうなると大森(森雅之が演じた)という歌人か?
『あかしやの街』は一転して明るい歌風になる。「われ」を詠まないで街を詠んだ短歌は意地みたいなものを感じる。
今日やる予定
鈴木涼美『ギフテッド』を読む。全然読めていなかった。これがネックになって、何事もすすまん!読んだ。
『全身小説家』を見る。観た。
原作大賞の第二話。今日できないかもしれない。
映画短歌。これも難しい。一日遅れ!
俳句は考えた
そのまんまだった。コートのフードを被るからネズミ男みたいになる。カタカナの方がいいのかな?ひらがなでした。鼠小僧じゃなく、ねずみ男だ。
映画短歌
『全身小説家』
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