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シン・短歌レッスン

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#王朝短歌

シン・短歌レッス130

シン・短歌レッス130

王朝百首

寂蓮法師は西行の友達だったか?

時代的には新古今集だから重なるので、辻邦生『西行花伝』でも登場人物として出てきたからだろう。

寂蓮じゃなかったな。寂然、寂念兄弟だった。間際らしいが鎌倉時代の僧侶というから、すでに春の繁栄は過ぎて暮れゆく春の情景なのだろう。

西行「僧形論」

吉本隆明『西行論』から「僧形論」。

西行の説話集『撰集抄』は今日では贋作とされているのだが、その西行像に

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シン・短歌レッス129

シン・短歌レッス129

王朝百首

藤原姓も多いが源姓も多い。武人のようだ。妹に百人一首に載る二条院讃岐がおり、「沖の石」を詠んでいるという。

「沖の石」は、仲綱自身であるともいい、波には隠れないが霞には隠れてしまうと歌う。霞は貴族社会ということか?霞に涙の意味もあるという。その歌の流れを二条院讃岐が引き継いでいるのか?

現代短歌史

篠弘『現代短歌史Ⅱ前衛短歌の時代』から「戦後思想の表現者」。短歌に批評が必要だとい

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シン・短歌レッス128

シン・短歌レッス128

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』をまた借りてきたので、再開。藤原秀能も初めて聞くような名前である。藤原家はみんな一緒のような気がしてくるが。

新古今和歌集で出てきていた。全く覚えてなかった。

『新古今集』の春歌上で後鳥羽院が選定したが、藤原定家は凡作とけなしていたとか。山辺赤人の歌と比較されたようだ。

濃い授業があった。このぐらいやってくれれば和歌も覚えるかも。

藤原定家と後鳥羽院の仲違い

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シン・短歌レッス125

シン・短歌レッス125

 王朝百首

「やなぎさくら」は柳とさくらなのか?枝垂れ桜を「やなぎさくら」と称しているのか、よくわからないが、塚本邦雄は詩でやなぎとさくらをそれぞれ別の色に喩えているから柳と桜なのだろう。素性法師という風狂な人だから桜より柳が最初なのかとも思う。どちらも街路樹としてよりもやはり庭木なんだろうな。広大な宮廷の庭がにしきなりけるというような。

齋藤史

梯久美子『この父ありて』から。

史が198

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シン・短歌レッス124

シン・短歌レッス124

王朝百首

「やなぎさくら」は柳とさくらなのか?枝垂れ桜を「やなぎさくら」と称しているのか、よくわからないが、塚本邦雄は詩でやなぎとさくらをそれぞれ別の色に喩えているから柳と桜なのだろう。素性法師という風狂な人だから桜より柳が最初なのかとも思う。どちらも街路樹としてよりもやはり庭木なんだろうな。広大な宮廷の庭がにしきなりけるというような。

NHK短歌

NHK俳句の第4週は句会で面白いのだけど、

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シン・短歌レッス123

シン・短歌レッス123

王朝百首

紀貫之の歌は情緒よりも理知的な部分があるという。それがあえて「水無き空に」とことわる部分であろうか?「なごり」は「名残」より「余波(なごり)」であるという。「天のさざ波」が「あった花」ではなく「失われた花」の幻想という部分は塚本邦雄らしい解釈か?つまり華やか日々を回想しているという情況なのだ。それが理知なる言葉で歌を構築していく紀貫之の言葉。

NHK短歌

吉川宏志も今月で終わりだっ

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シン・短歌レッス122

シン・短歌レッス122

王朝百首

紀貫之の歌は情緒よりも理知的な部分があるという。それがあえて「水無き空に」とことわる部分であろうか?「なごり」は「名残」より「余波(なごり)」であるという。「天のさざ波」が「あった花」ではなく「失われた花」の幻想という部分は塚本邦雄らしい解釈か?つまり華やか日々を回想しているという情況なのだ。それが理知なる言葉で歌を構築していく紀貫之の言葉。

西行

辻邦生『西行花伝』
「五の帖」、

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シン・短歌レッス120

シン・短歌レッス120

王朝百首

俊成卿女は新古今時代の代表的女性歌人。子規内親王を別格とすれば俊成の孫にして養女、藤原定家の姪に当たる歌系。後鳥羽上皇も『新古今 恋二』の最初に置いた歌人でもある。

王朝百歌の歌は過ぎ去りし恋の思い出なのか?塚本邦雄は月が好きだな。ディオニソス的な幻想世界なのではないかと思う。アポロ的詩とは対極の。

西行

辻邦生『西行花伝』
「一の帖」、藤原秋実が西行の生まれ故郷紀の国の乳母(9

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