この浜辺でキミを待つ。【10日目】
声の主は『ハカセ』といった。
ハカセは明日、シロが目覚めた浜にやってくるという。
つまり、ハカセはシロの境遇を知っているということだ。そうでなければ、シロが浜で目覚めたことも、その浜がどこなのかもわからないだろう。
「私のことがわかる人が来る……!」
シロはそのことが嬉しかった。
だが、それ以上に、話し相手が現れることが嬉しかった。
アクアが沈黙してから、シロは孤独を味わっていた。どんなに空が晴れていても、心の中はずっと暗雲が渦巻いていたのだ。
「ハカセを歓迎しないと」
シロは決意する。
ハカセに会えて嬉しいという気持ちを伝えなくては。
「行ってくるね」
横たわるアクアの身体を布越しに撫で、シロはコテージを出た。
陽光がシロを迎え、ヤシの葉擦れの音がシロに囁いた。晴れ渡った空が久々に心地よいと感じた。気が遠くなるほどの年月、そんな気分になっていなかったかのように錯覚した。
「歓迎って言っても、どうすればいいのかな」
シロの問いに答える者はいない。だから、シロが考えなくてはいけない。
食料は充分にある。美味しかった保存食をたくさんかき集めておこう。
でも、それだけでは味気がない気がする。
それならば、宝物をたくさん用意しよう。
「綺麗なものでコテージを飾るんだ」
想像しただけでココロが躍る。シロはそれで嬉しいのだから、ハカセもきっと喜んでくれるはず。
シロは海岸で、綺麗な貝や石などを拾うことにした。
素敵だと思ったものを片っ端から拾い集め、コテージに持って帰って飾りつけをするのだ。
「アクアが一緒だったらよかったんだけど……」
物を集めるのはアクアの得意分野だ。だが、アクアの手を借りることは叶わない。
シロは砂浜にしゃがみ込むと、綺麗なものを探した。
すると早速、太陽の光を浴びてきらりと光るものを見つけた。
「シーグラスだ!」
海のように青いシーグラスを拾い上げ、陽光に透かす。
波に揉まれてまん丸に削られた表面は、すりガラス状になっている。シロはその独特な感触を楽しみながら、ポケットの中にねじ込んだ。
「あっ、綺麗な貝も!」
欠けた貝や割れた貝が多い中、完璧な形の巻貝が半分砂に埋まっていた。
シロは駆け寄って拾い上げてみるものの、そこには先客がいた。
「ヤドカリさんのおうちだった……! ごめんなさい!」
ヤドカリが小さなハサミを振り回して抗議するので、シロは慌てて元の位置に戻してやった。
「そうだった。綺麗な貝はおうちの可能性もあるよね……」
数日前の失敗を思い出して苦笑する。
それと同時に、苦い思い出もフラッシュバックした。アクアを破壊した、あの巨大なモンハナシャコのことだ。
「あれは一体、何だったんだろう……」
先ほどのヤドカリとモンハナシャコは様子が違っていた。そもそも、モンハナシャコは本来、手のひらに乗るくらいの大きさだったはずだ。
それが、どうして巨大化していたのか。そして、結晶に覆われていたのか。
あの結晶はなんだったのか。シロが見つけた人が眠ったままだったのと、この土地から人がいなくなった理由に関係してるのだろうか。
シロの頭上をカモメが飛んでいく。
青い空と白い雲、そして、どこまでも続く美しい海。
この土地はまるで楽園だ。
しかし、その楽園の心地よさを享受する者はシロ以外にいない。
観測する者がいない楽園は、存在すると言っていいのだろうか。
物理的には存在しているはずだが、ここを知らない人々の認知の中では存在しない。それはつまり、人々にとって楽園が失われていると言っても過言ではないはずだ。
「そんなの、もったいないな」
もっとこの場所を知ってほしい。
危険はあるけれど、武装をしていれば退けることも可能だ。
だが、一つ疑問がある。
「この場所の外のこと、何も知らない……」
島の外に人間はいるのだろうか。ハカセという人物は存在しているようだが、他に何人の人間がどのような暮らしをしているのかわからない。
「ハカセに聞けばいいかな」
そもそも、ハカセはどうしてこの場所に来るのだろう。
シロを迎えに来たのだろうか。いや、観光かもしれない。それとも、別の目的だろうか。
「わかんないや……」
考えても答えは出ない。今はただ、ハカセを歓迎すべく宝物を拾い集めることしかできない。
「あっ、綺麗な貝!」
シロは桃色がかった二枚貝を見つけた。二枚貝ならばヤドカリの家にはならないはずだ。
シロが二枚貝を拾おうとしたその時、がくんと妙な振動が彼女を襲った。
強烈な違和感と喪失感。いきなり軽くなった身体。
「どうして……?」
よく見るとシロの右手が落ちていた。指先は二枚貝に届いていたが、肩からすっぽりと外れていた。
血は出ない。その代わりにオイルが滴り、何本ものコードが伸びている。その大半は断線しており、肩の辺りはひしゃげていた。
モンハナシャコの衝撃波を受けた時、受け身を取った場所だ。それが原因なのだろう。
「でも、なんで……?」
シロの身体は機械仕掛けだった。アクアと同じだ。
視界がぐるりと回る。シロの身体は砂の上に転がった。
お腹が鳴っていた。そう言えば、何日も何も食べていない。人間ならばとっくの昔に動けなくなっているはずなのに。
「動いてよ、私の身体……」
シロの口からかすれた声が出る。しかし、身体は動かない。砂浜に横たわったままだ。
太陽は燦々と射しているはずなのに、視界が暗くなっていく。波の音が遠くなり、風の感触が曖昧になっていく。
シロは、自らの終わりを自覚した。アクアもこの感覚を味わったのだろうか。
「嫌だな……」
終わりたくない。
ここで終わったら、宝物を拾い集められない。ハカセを歓迎できない。
自らの目的が果たせないことを憂いつつ、シロの意識は引き潮のように引いていった。
―機能停止―