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後輩書記とセンパイ会計、蛇道の苦悩に挑む

 開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば徳川将軍家の縁者にだってなれただろう。二代将軍秀忠の娘、そして三代将軍家光の姉にあたる、珠姫という女性は、幼くして政略結婚で前田家に嫁入りしたが、その先で夫と仲良く過ごすほど無垢で純粋な人だったらしい。年末にテレビでそういうドラマを見たせいもあるけれど、ふみちゃんは、背が小さくてふんわりした雰囲気があるが、目を見張るほど華やかで美しい着物を着て神社に参拝に来たとき、なぜかそういう可愛らしい純心な姫に重なったのだ。
 一方、わけあって蛇の神社にふみちゃんと一緒に来た一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの和服音痴で、数学が得意な理屈屋で、蛇に合わせてフレームの表面が少しざらっとした眼鏡にしたことだけが今日のこだわりだった。
 今日は一月十一日、初詣には少し遅い日だ。ふみちゃんは家が神社なので、正月の一週間ほどは巫女として家の手伝いをする。もちろん、僕はふみちゃんの家の神社にも元日から参拝したのだけれど、やっぱりふみちゃんが働いていると落ち着かないというか、少し日を改めて別の神社に行こうかな、と軽い考えで提案してみたのだ。
「数井センパイ、それなら、鏡割りの日に蛇の神社に行きましょっ」
「あ、ああ」
 鏡割りの日というものがいつなのか知らなかったので、すぐなのかもっと先なのか不明だったが、とりあえず頷きながらふみちゃんに聞いてみると、鏡割りはもともと一月二十日だったけれど、三代将軍の徳川家光がその日に亡くなったので、それ以来日本では二十日に行うことは自粛され、一月十一日になったそうだ。その説明では鏡割りの行事のことも、蛇とのつながりも全然つかめなかったが、とにかく、幸福を呼ぶとされる白蛇を祀ってある神社が少し離れた町にあり、バスで行けるからセンパイの自転車の後ろじゃなくて大丈夫、と行き先も行き方もとんとんと全部決まってしまい、僕はただその参拝プランに同意するしかなかった。
 当日になり、バス停に少し早めに着いて待っていると、なんとふみちゃんが正月の巫女服とはまったく違う振り袖姿で現れたのだ。髪をアップにし、花かごみたいな髪飾りをつけ、きれいな赤い生地の着物に百花繚乱のごとく色とりどりの花柄が刺繍されている。しっかりした帯と小さな手提げバックは落ち着いた金色でそろっていて、絶妙な調和だった。こういうのは自分で着付けするのは大変だろうから、お母さんにやってもらったんだろうか。ということは、ふみちゃんが僕と外に出かけると知っていて、こんなすごい振り袖を着せたのだろうか。
「数井センパイ、そのマフラー新しいですね」
 バスが来るまでの間に、僕の格好を見て言った。眼鏡や服は新品でなく、マフラーだけがお年玉で早速買ったものだった。コートやパンツは濃いグレーで、赤い柄を織り交ぜた黒いマフラーを巻いていた。今から白蛇の神社に行くのに、まさか赤で一致するなんて。
「うん、買ったばかりなんだ」
「赤が一緒で嬉しいです」
 まっすぐ微笑まれると、僕も変に照れ臭く、もちろん嬉しかった。

 バスでのんびり行くわけだが、ふみちゃんが語り出した蛇神の話は結構重たかった。
「縁起がいい話と、縁起が悪い話、どっちを先に聞きますか?」
 何かそういうわざとらしい台詞がある洋画もある気がするけれど、そんなことより、僕はよくわからない判断を迫られた。普通、縁起がいいほうを先に聞きたくなる。前者を選ぶと、ふみちゃんはぐっと身を寄せてきた。バスの中は混んでないが、座席は結構狭い。こっちがコートで向こうが着物だから余計そうなのかもしれない。しゅるるっという着物のすれる音がお正月らしくて新鮮だ。
「鏡餅って何であんな形かと言うと、白蛇をかたどったものとも言われるんですよ」
「蛇? そうかな?」
 ふみちゃんが言うことはきっと十分なくらい下地の知識があることだろうが、僕は二段重ねの餅にみかんの載ったものが白蛇とは頭の中で重ならない。が、ふみちゃんは構わず続ける。
「もちろん、神事で使われた青銅の鏡をかたどってるんですが、二段に重ねた形は蛇がとぐろを巻いた形で、本当にお餅を細長くして蛇のとぐろみたいに巻く地方もあるんですよ」
 と、手で餅をこねるような仕草をして話す。僕は頭の中で大きな鏡と蛇のイメージが一応出会いはしたが、幾何学的な検討の結論として餅にはならず、みかんが『おい、俺はどうした』という感じでふて腐れていた。自販機で買ってきたペットボトルのお茶を飲む。
「……それが、縁起がいい話?」
「うん」
 シャラッと紅白の髪飾りが揺れる。きれいな黒髪にぴったりだ。
「で、縁起の悪い話は?」
「着いたら話しますね」
 まさかの引きだった。あと三つくらいはバス停があるのに、ふみちゃんは別の話を始めたが、縁起が悪いことが気になって頭に入ってこなかった。

 バスから降りて少し歩いたところに『蛇道明神』という古めかしい看板がかかった立派な赤い鳥居が立っていた。これも赤だ。境内を眺めると、参拝客はいるけれど初詣のシーズンを過ぎたせいか、人の数は少なくて寒々しい感じだった。特に考えもなく、『蛇道明神』という看板を見直す。
「神社――ではないんだね。蛇だから?」
「数井センパイ、違います。明神は、古い社(やしろ)の証拠なんですよ」
 今年も早々に否定されてしまった。たぶん僕がそんな質問をするとは思ってなかっただろうけど、ふみちゃんも条件反射的に正しい説明を返してくる。
「古い神社?」
「神社っていう言い方は、近代になってからなんですよ。それまであまり統一した名称の付け方はなくて、神宮とか明神とか権現とか八幡とか天神とかいろんな呼び方があります。もちろん、神道系と神仏習合系では違うんですけど、神社と呼ばれてないところはみんな歴史が古いんです」
「へぇ……そっかぁ」
 としか答えようがなかった。僕でも知っている有名なものだと、明治神宮、湯島天神、伊勢神宮、北野天満宮、出雲大社とか――確かに神宮や天神などいろいろだ。もっとも、違いは全然わからない。
「じゃあ、ここは歴史が古いんだね」
「蛇は水をもたらす神様と言われ、昔から信仰されてたんです」
 ふみちゃんの話では、明神とは、神は仮の姿でなく明らかな姿で現れるという意味で、日本に仏教が伝わり広まった時、神と仏の関係は何かの議論があり、神は仏の信者を守護するという形で落ちついたらしい。それが神仏習合というもので、明神はそのひとつだという。つまり、ここは蛇の神様で、仏教の信者も守護するという器が大きい存在なわけだ。守護するという言葉を聞いて、蛇がとぐろを巻いて人を護ってくれる姿が浮かんだ。
「でも、数井センパイ、ここは、江戸時代に蛇責めの刑に遭った女性が塚に祀られてるんです」
 いきなり言った。
「へっ、蛇責め? 神様の蛇を攻撃したりするのか?」
「数井センパイ、違います。人が全身を蛇に噛まれる刑です」
 一気に寒気が走った。全身を――蛇に――噛まれる。そんなの確実に毒で死んでしまうじゃないか。バスの中でふみちゃんが言いよどんだ縁起の悪いことはこれなんだろうか。たぶんそうだ。顔をのぞくと、ふみちゃんも思いつめた表情をしている。
「すさまじい処刑方法だね……。それって日本の話?」
「江戸時代、政略結婚のために地方へ嫁いだ将軍家の姫様がいたんですが、結婚した旦那さんとすごく仲良くなって、将軍家のことを結構ぺらぺらしゃべってしまったらしいんです。江戸からつかわされた乳母がその失態を知って、姫様を折檻してらしくて」
「それで、姫様が蛇に?」
「――数井センパイ、違います」
 少しむっとした表情でぴしゃりと言い返された。確かに途中で話を切るべきでなかった。
「姫様は旦那さんと一緒に過ごせないと気に病んで、衰弱死してしまったそうです。で、死ぬ寸前に姫様の本音を聞いた旦那さんが怒りに狂い、乳母を呼び、領内から集めた無数の蛇で処刑したんだそうです」
 重かった。重すぎて胃が痛くなるほどだ。僕の表情は完全に凍り付いていた。何で新年の鏡開きの日にそんな無残な処刑方法をじっと聞いているのか。ふみちゃんの振り袖を見られて軽やかに躍った僕の心は、冷水を浴びたように固まり、蛇にでも睨まれているような心地だった。
「あの……数井センパイ、すいません。今日は――そういう女の恨みがこもった帯の供養に来たんです。この、蛇みたいにぐねぐねと宙をうねる帯の供養に……」
 ん?
 蛇みたいに宙をうねる、帯?

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