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(2)愛知妖怪奇譚 甘酒の災禍 ー不二先生の処方箋ー

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玄関に入ると、家人の中年女性とともに、出雲あやも姿を現した。そばに小さい女の子もついてきた。
 出雲は久し振りに会ったが、少し落ち着いた雰囲気になり、昔と変わらず艶やかな真っ直ぐの黒髪で、後ろで白いリボンで一つ結びにしている。女の子は――小学生の低学年くらいだろうか、黒髪を両サイドに分けて白いリボンで二つ結びにしていた。目鼻立ちがよく似ていて、一目見て母娘だとわかった。
「不二先生、お待ちしてましたよ。さあっ、こっちの部屋です」
 何年振りかの挨拶もそこそこに出雲は「この方がこの家の奥さんで、これは私の娘のふみです」と説明した。奥さんが早速、寝室へ通してくれた。人数が多いと騒がしいので、銀河と子供達は居間に残り、先生は診察道具を持って廊下を進んだ。
「不二先生、お使いの女の子から話は聞いてますね?」
 ――だから来ました、と先生は頷く。
「出雲さん、先生なんてこそばゆいです。不二くんで構いません」
「だって一応先生だから。奥さんの手前もあるし」
 出雲あやと不二先生はかつて同じ高名な神社で修行を積んだ仲だった。なお、このとき出雲あやは神社に嫁ぐことが決まっており、修行でなく花嫁修業だとはしゃいでいた。修行と言っても心身を鍛える類いでなく、国内のあらゆる奇異な民話伝承の由来や分布を調べ、現象に応じた対処法を研究することである。二人は、その手の素養を持つ数人の同志と寝食をともにし、あまたの古史文献を読み漁った。
 しかし、現実的に八百万の神や百鬼千霊を総ざらいすることは困難だ。そこで各自で研究分野を絞り、出雲は子供の身を脅かす系統や家屋に住み着く系統を、不二先生は女性を見舞う奇病の系統を徹底的に研究した。出雲のほうが範囲は広いが危険性は比較的低く、子供への戒めみたいなものが多い。一方、不二先生は逆に狭いものの対処法が厄介なものが多い。結果的に現在、出雲がご近所の相談役で、不二先生は遠方からも患者が訪れる専門医をしているのはこういう違いからだった。
「不二くん、これも運命ね」
 出雲は一瞬だけ奥さんに見られないよう懐かしく微笑み、また緊迫した顔に戻った。
「甘酒婆とは……また、何で今さら……という感じですが」
 車中で疲れて笑みを返す余裕のない先生は、目的の部屋に通され、布団で寝息を立てている老婆を見た。甘酒が好きなだけで、老婆が甘酒婆になることはない。むしろ時代的にはもう伝承の〝現代再現性〟は絶えているはずだ。
 伝承の〝現代再現性〟とは――かつて万病や自然現象の解明がされていなかった時代に、原因不明の多くのことが怪奇伝承として語られたが、それが現代に再現する可能性を研究したものだ。甘酒婆はいくつか伝承の種類があるがその一つは、夜道で「甘酒は要るかい?」と聞く老婆が現れ、要る要らないを問わず何か答えれば甘酒をぶっかけられ、その被害者は疱瘡(ほうそう)、つまり今で言う天然痘の感染症にかかる、と語られたものである。かつて日本でも天然痘は一度流行ればその町や村を滅ぼすほどの脅威であり、疱瘡神という伝承として多くの書物や図画に記されるほど、人々の畏怖や忌避の対象だった。
 戦後の医療発達で天然痘ウィルスは撲滅されたと言われるが、先生の知見上、甘酒が好きな老婆が夜中起きたら甘酒婆になるというものではない。おそらく別の因果がある。先生はそう考えて往診に出向いたのだった。
「失礼します」
 不二先生は何枚も護符の貼られた葛籠(つづら)のような黒茶色の道具箱から、肘まである赤い長手袋と銀製の聴診器を出した。普通の聴診器ではなく、呼気や血流に連なる体の精気の変化を測れる特殊なものだった。赤や銀は古来から魔除けの色とされる。
 先生は両手に手袋をはめ、老婆の上体を起こして、銀の聴診器を当てた。その様子を奥さんと出雲は固唾を飲んで見守っている。このとき、ホラー映画みたいに老婆が突然目をカッ開いて熱い甘酒をぶっかけてくる、ということは起きなかった。先生は夜道でなければそれが起きないことを知っているのだ。
「先生、どうでしょうか……?」
 奥さんが声を震わせ尋ねる。
「甘酒の持ち出しは、本人の意思ではないので、記憶にないはずです」
「えっ、そうなんですか。お……お義母さんは夢遊病なんでしょうか? 実は、お義母さんが作っていた甘酒をすべて納屋にしまって鍵を掛けたんですが、それでもまた甘酒をぶっかける事件が起きたんです……」
 先生は首を傾げ、聴診器を外して老婆を寝かせた。
「かつて江戸時代の頃に、夜に酒を求めて徘徊したり、甘酒を売り歩いたりする老婆の話は『甘酒婆』として日本中で都市伝説のように語られました。現代でいう『口裂け女』などと系統は似ています。あれも夜道で唐突に尋ねてくる奇怪な女性ですし、人に災いをもたらします。『口裂け女』は一説に岐阜から起こったと言われますが、甘酒婆は文献で知れる最大範囲でも、北は青森から西は広島あたりまで各地に及びます」
「――その話、私の地元にもあったよ」
 出雲は愛知県の生まれだった。余談だが、修行時代、出雲は時折八丁味噌を使った料理やお菓子を作って同志に振る舞ってくれたが、実家から八丁味噌がたくさん届くからと言っていたのが懐かしい。それよりも今は甘酒の問題だ。愛知での発現例としては、尾張藩士の高力種信(猿猴庵)の記した『猿猴庵日記』に奇妙な巷説として記されているが、今回の発現例はそれに近かった。
 つまり今回は――酒を乞う老婆でなく、甘酒を売って歩く老婆だ。
「不二く……先生、何とかなる?」
 出雲は先生と言い直しつつ、優しく尋ねてきた。旧交の同志を信頼してるらしく、案じる気配もなく、何とかなるよねと、まるで我が子に夏休みの宿題を促す母親のような口調だった。もちろん出雲はもう母親なのだが。
「対処法ですが、杉の葉と南天の枝と唐辛子をこの寝室と玄関に飾ってください」
「えっ? ――と言いますと?」
 奥さんは聞き返す。
「杉は『過ぎる』を意味し、南天は『難を転じる』を意味し、唐辛子の赤は厄除けの色です。杉の葉と南天の枝は園芸店に行けばあると思います。それから、効能を高めるために、出雲さんの大国山神社でそれらを清めてもらってください」
 先生が淡々と説明すると、奥さんは怪訝な顔をした。
「あの……おまじないだけで、お義母さんは大丈夫なんでしょうか?」
 ゆっくりと先生は頷き返す。
「本人から甘酒を取り上げても災厄は去りません。もっと根本的な問題の根は、甘酒売りは一種の象徴に過ぎないということです。本来、夜道に出歩くと奇怪なものに出くわす、というのは信心深い人々が語った戒めでした。甘酒は冬の物です。確か『口裂け女』もマスクとロングコートでしたね。真冬は夜道をうろつくべからずという戒めが時代によって形を変えて継承されているのです。だから、人智を超えた存在は、過ぎるのを願い、難が転じるのを祈り、変色しない赤で厄除けをしてください」
 奥さんは黙り込んでしまった。専門の先生が言うのだから、それが合っているも違っているもない。鰯の頭も信心から――のそれ以下でも以上でもないことを冷静沈着に述べているだけだ。先生の処す方法は、大層な護符を施すでもなく、大枚を受け取って祈祷するでもない。杉の葉も南天の枝も唐辛子も、それ自体に価値はない。かつて人は夜の闇を畏れ、灯りで照らし切れない部分に敬意を払い、身を寄せ合い、言霊や祈りの力を借りて苦難を乗り越えてきたのだ。ただそれを現代に再現させるだけだ。
 先生の眼差しは落ち着きに満ちていた。
「甘酒を恐れることはありません。甘酒婆は人に災いをなすものとは逆の場合もあります。かつてある寺の前で甘酒を売っていた老婆がいて、咳に苦しんで亡くなる時、咳を病む子供たちを救うと言い残して神様になったと言われ、この老婆の石像が祀られた地蔵尊があります。ここに甘酒を供えて願をかけると病が和らぐと言われます」
 白い石塀と美しい緑に囲まれた静かな佇まいの地蔵尊である。奥さんは、先生の噛んで含めるような言葉によく聞き入っていた。
「おばあさんを案ずる子供達のため、〝災い〟の甘酒婆を〝救い〟の甘酒婆に転じるべく、この地蔵尊に甘酒を供えて祈ってください。場所は処方箋に書いておきます。それから納屋の甘酒を出して、咳に効く生姜でも混ぜて町内に配るといいでしょう」
「あ、甘酒を出して大丈夫ですか……?」
 トン! 先生は長い指でカルテを叩いた。
「由緒ある地蔵尊のご利益を疑っても始まりません。いかに災い転じて福と為すかです」
「お義母さんは……もう夜道を徘徊しないでしょうか?」
「治す方法を、言いましたよ」
 そして処方箋を渡した。甘酒地蔵尊のある場所と、杉の葉と南天の枝と唐辛子を買って大国山神社で清めて部屋と玄関に飾り、甘酒に入れる生姜も買うように書かれていた。先生がふと目を転じた先に、この独自の処方を懐かしむ出雲が嬉しそうに微笑んでいた。

(続)

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