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【前編】後輩書記とセンパイ会計、片足の美女に挑む

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 開架中学二年、生徒会所属、平凡なる会計の僕は――新調したばかりの眼鏡のレンズが忽然と片方なくなったので、仕方なく予備の眼鏡をカバンから取り出した。
 ペアの物が片方消えると動揺するが、僕の周辺ではもっと不思議な現象がたまに突然起こるので、いちいち取り乱したりしない。今日もそうだったのだ。

 九月二日、二学期が始まって最初の週末だった。この夏は猛暑でまだまだ暑くて、半袖のYシャツの背中にじっとり汗をかいていた。今日は「靴の日」らしい。単に「く(九)つ(二)」の語呂合わせなんだとか。生徒会所属、一年後輩の有能なる書記のふみちゃんが言うのだから間違いない。ふみちゃんは――今日の髪型はサイドテールと言うそうで、片方だけ耳の上で髪を結んで弾ませていた。
 ところで、なぜ片方だけ眼鏡のレンズが消えたかはわからない。僕がひとり冷房の効いた生徒会室で眼鏡を外して昼寝をしていたら、袖によだれを垂らした上に、机に置いた眼鏡のレンズが一個消えていた。起きたらふみちゃんが来て、僕の寝顔を写メに撮っていた。
「……ふみちゃん、盗った?」
「ふわっ、か、数井センパイ、違います。まだシャッターを押してません」
 写真を撮ったかどうかはどうでもいいんだけれど、確かにふみちゃんがレンズを片方だけ盗る理由はない。僕は寝ぼけ頭でごめんと謝り、ふみちゃんが驚く暇もなく予備の眼鏡に交換したところで、不意に携帯電話が鳴った。
 着信は屋城銀河さんからだ。銀河さんはスケールの大きい名前だが、性別は女性だ。僕たちの生徒会長のお姉さんであり、大学生である。この人からの突然の電話はめったにないことだけど、嫌な予感しかしない。
「はい、数井です」
『あっ、出た出た! 良かったー。数井くん……だっけ? ふみすけちゃんと一緒にいる?』
 僕に電話をかけ、出た本人も数井と名乗った状況だけれど、銀河さんは名前をなかなか確実に覚えてくれない。携帯に違う人が出る確率なんてものすごく低いのに。そして、銀河さんは僕でなくふみちゃんのほうに用事があるようだった。ふみちゃんのことを変なあだ名で呼ぶのはいつものことだ。
「はい、一緒にいますが」
『今ね、山にいるんだ!』
 僕は少し面倒臭げに答えたものの、銀河さんの声は残暑の太陽のように一方的に押し込んできた。電話の向こうでドドドドドド……という音が聞こえる。これは水の流れ落ちる音だろうか。
『ねぇ、靴が片方だけなくなるってこと、ある?』
 この人は何を言ってるんだろうか。
「それは……ありますよね」
『んー、そうじゃなくて』
 僕が答えると不満げだった。たぶん当たり前のことを尋ねているわけではないのだ。
「じゃあ、ふみちゃんに代わりましょうか?」
『ううん。あ……ありのまま今起こったことを話すね! それを君が伝えて』
 えっ、何でそんな面倒なことを頼んでくるんだ。銀河さんは構わず話し続ける。
『あたしが滝の中で水浴びをしてたら、いつの間にか片方の靴を盗られてたの。な、何を言ってるのかわからないと思うけど、あたしも何をされたのかわからなかった……。頭がどうにかなりそうだったの。幻覚とか超スピードとかそんなヤワなものじゃあ、断じてないの。もっと不思議なものの片鱗を味わったのよ……っ!』
 滝で水浴び――銀河さんはもしかして水着姿でこの電話をしてるんだろうか。大きい胸の谷間が強調され、ヘソ出しの格好が目に浮かぶ。いや、それよりも。ど、ど、どうやってさっきのふみちゃんに伝えればいいんだ。携帯を握ったまま硬い顔で横を向くと、ふみちゃんは僕の隣りで昼寝しそうになっていた。僕は一瞬考え、銀河さんから直接ふみちゃんの携帯にかけてもらったほうがいいと判断した。
「ふみちゃん、携帯は?」
「今日は家です」
 何でこの子は携帯を持ってるのに、まったく意味がないんだ。銀河さんもたぶん最初にふみちゃんの携帯にかけて、出ないから僕にかけてきたのかもしれない。なら仕方ない。
「ふみちゃん、あ……ありのまま今言われたことを話すよ」
「数井センパイ、ゴゴゴゴゴゴって感じですね」
 滝の音か? そんなに聞こえるかなと思ったが、それよりも銀河さんが遭遇したことをありのまま伝えた。
「銀河さんは――どこにいるんですか?」
 さっき滝の前にいると言っていた。携帯で聞き直すと、【阿寺の七滝(あてらのななたき)】だと言う。銀河さんはもう少し詳しく話してくれた。
『車でね、愛知県を旅行してたんだけど、長篠の古戦場を見た後、東に向かって阿寺の七滝まで行ったのよ。あ、そうそう、長篠にあった被弾の女狐のぬいぐるみをお土産に買って帰るよ』
 銀河さん、愛知まで行ってるのか。中学生は二学期が始まってるけれど、大学生はまだ夏休みなんだとか。と、何か普通に観光気分なテンションで話してくるけれど、頭がどうにかなりそうなほど不思議なものの片鱗を味わったんじゃなかったのか。
「一人ですか?」
『ううん、中学時代の生徒会の戦友たちと一緒に【女子怪】してるの』
「女子会ですか」
『そう、今回は愛知で【女子怪】なの』
 電話口で何となく女子会の〝会〟を強調していた気もするが、とりあえずふみちゃんに追加情報を伝えると、腕を組んで考え込んだ。
「数井センパイ、愛知のことはお母さんにも聞いてみます。ちょっと携帯貸してください」
 僕は一旦銀河さんとの通話を中断し、すみやかに携帯を渡した。ふみちゃんが家にかけるとすぐ通じた。
「お母さん、あ……ありのまま今聞いたことを話すね」
 まるで伝言ゲームのようだった。ふみちゃんのお母さんは愛知の生まれと聞いたことがある。地元に古くからある民話伝承を趣味で研究していて、八丁味噌が好物で、ふみちゃんの家では揚げ物にたまに味噌ダレをかけて食べるらしい。甘い味が好きなふみちゃんは味噌ダレも割とお気に入りなんだとか。そんな話は関係なく、母娘でしばらく話していた。
「それでね、お母さん、山で靴が片方なくなりました」
 たぶんその言い方は誤解される。
「ううん、お母さん、違います。私は山に行ってません。銀河さんというおっぱいの大きいお姉さんのです。そうそう、あのヘソ出しのお姉さん」
 おっぱいが大きいとかヘソ出しとかはお母さんにも伝わる特徴なんだ。
「姫女郎(ひめんじょろう)……片足の。うんそう。取り返せないよね?」
 ふみちゃんはある程度知っていたようだ。
「山刀と銃ね。うん、わかった」
 そんなふうに一区切りついて電話を切った。山刀と銃という物騒な言葉がいきなり出て緊張が走る。
「数井センパイ、銀河さんにかけ直していいですか?」
 もちろん頷く。早く対処したほうがいい。ふみちゃんは履歴から電話をかけた。
「銀河さん、さっきの話ですが、片足の上臈(じょうろう)の仕業です」
 片足のジョウロ……? 聞き慣れない言葉だった。
「銀河さん違います。花に水をやるゾウさんではありません。上臈は、貴婦人のことです」
 向こうも同じ勘違いをしていた。片足の――貴婦人? 片足って、片方の足がないってことだろうか。そんな人が山道に現れたのを想像すると背筋が寒くなった。ふみちゃんが何を言っているか全然理解できないが、とにかく説明は続く。
「うーん、防ぐことはできますが、取り返す方法はありません」
 そもそも――本当に靴は盗られたのか。片足の女性が滝のそばになんか来るだろうか。あり得ない状況としか考えられない。しかし僕が口を挟む状況でもなく、ふみちゃんは心配そうに話し続ける。
「他に獲物は盗られてないですか? 山で捕まえた動物とか」
 ふみちゃんは銀河さんを本当に何だと思ってるんだろうか。
「あ、長篠で買った被弾の女狐の大きなぬいぐるみが……なくなったんですね?」
 お土産に買ったと言ってたやつか。
「銀河さん、靴は戻りません。これ以上の盗難を防ぐためには、銃に山刀を十字に括り付けてください」
 すごい対処法だな。
「……なるほど、山刀はあるけど、銃がないんですね」
 えっ、山刀はあるんだ。銀河さんは何をしに山に行ったんだろうか。女子会で持っていく装備じゃないだろう。
「水鉄砲? はい、水鉄砲でも大丈夫です!」
 銃の代わりに水鉄砲はあるようだ。山で水遊びする気満々じゃないか。すると、ふみちゃんは僕のほうに携帯を渡してきた。
「銀河さんが、数井センパイにお礼を言いたいそうです」
「えっ、僕?」
 ドドドドドド――という滝の水音が再び耳に届いた。
『数井くん……だっけ? ありがとねっ』
 二回目だとさすがにからかわれてるのかなぁ、と思ってしまうけれど、まったく本人はそんな様子もない口調だった。
「銀河さん、水鉄砲を持ってるんですね」
『小鳥なら撃ち落とせるくらいのでっかい水鉄砲を持って来たのよ! あたし、そういうところ運がいいよね!』
「えっ、まあ……そうですね」
 得体が知れないものに靴を盗られているのに、自分は運がいいとはしゃぐ超楽観的な銀河さんに、僕は苦笑するしかなかった。


(続)

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