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キャッツ愛

 「都会(まち)はきらめく passion fruit ウインクしてる every night」

杏里さんの強くしなやかな歌声に、心ときめかせながら過ごした少女時代。

そんな都会もそんな夜も経験せぬまま、大人になった。


ところでこの歌ご存知ない方、ここで離脱せずにいただけると嬉しいです、わがまま言ってすみません。


ここからのテーマは、自粛による在宅勤務生活で、私が改めて感じた我がキャッツへの愛。

かれこれ十数年一緒に暮らしているものの、これほど長い時間を共に過ごした事はなく、過ごせば過ごすほど、湧き出る愛おしさ。

挙げ句の果てには、出会いから今日までを振り返り、そしてこの先の未来を想像しながら、ちょっと弱った心がそうさせるのか、涙すら湧き出る始末。

そんな愛猫との出会いについて当時の記憶を辿りながら、noteデビュー記事にしてみようと思う。


20XX年春、当時一緒に暮らしていた彼の父親が癌で入院を余儀なくされ、その見舞い先からの電話が発端だった。

タイミングがタイミングなだけに、まさか、お父さん……!

慌てて携帯をつかみ、弱々しい声で「もしもし」と言うと、予想を遥かに超えた一言をブッ込んで来た。

「子猫ちゃん、連れて帰っていい?」

えーっとそれはどこの子猫ちゃんですか?

先月隠れて旅行行ってた美人モデルのA子ちゃん?

それともコンパで出会って、ラブラブのプリクラを撮っていた、セクシー薬剤師のB子ちゃん?

ダメ男の彼を持つダメ子の脳裏にはそんな自虐ギャグが瞬時に浮かんだものの、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「どういう事?猫って何?」

「今、病院出たとこなんやけど、近くで子猫の泣き声がして、植木のところ行ったら段ボールあってん。蓋閉まってたんやけど、中から声がするから開けたら子猫が入ってた。多分誰かが捨てたんやと思う。見つけてしまったからこのまま放っておかれへん。何か痩せてて弱ってるように見えるし……」

と、そんな説明だった。

気持ちはわかる。わかりすぎるがしかし、あまりにも唐突で、考えも追いつかないし、猫の事何も知らないし、これまでの人生で猫と触れ合った経験といえば、幼い頃実家に気まぐれに訪れる、白黒の猫に気まぐれにごはんを与えた事があるぐらいだし、ネコ派かイヌ派かと聞かれればどちらかと言えば、イ…

「ええよ、とりあえず、連れて帰りよ」

ダンディール。

運命というものは、こういう選択ではないかと思う。

当時の記憶は曖昧だが、とにかく一旦連れて帰ってもらって少し様子を見て、動物病院に連れて行った後、保護猫団体さんに相談してみよう、とか何とかぼんやりとそんな事を考えていたような気がする。

「とりあえず、一旦お友達から始めましょう」的な逃げ道を持たせた選択だった。

病院から家までは車で1時間はかかる。

その間ネットで検索しながら、急いで子猫用のミルクと哺乳瓶をスーパーに買いに行き、新聞紙と、引き出物か何かでもらったお菓子の詰め合わせの箱で簡易のトイレを作った。そして、寝床は段ボールの中に使い古したタオルを重ねて敷き、部屋の隅っこに置いた。

不思議な事に、色々調べながら準備を進めていると、ワクワクした気持ちが湧いてきた。

どんな猫ちゃんだろう?そういえば、慌ててたから容姿まで聞かなかったな。

真っ白?真っ黒?それとも白黒?もしかして三毛猫?そう言えば、この前テレビでみた、足の先が白い猫、足袋を履いてるみたいで可愛いかったな。やっぱり猫って白い毛が混じっているだけで格段に可愛い気がするな。

ニヤニヤとネットで写真を見ながら、彼と子猫の帰りを待った。

「ただいまー」

来た!

ミュー、ミュー

彼の抱えるミカン箱サイズのダンボールから、消えそうな子猫の声がかすかに聞こえる。     

そっと、私の目の前にその段ボールが置かれた。

「開けるで」「うん」

2匹かーい! 

ほんでさぁほんでさぁ…………

何か何か何かぶっちゃけ…………


いや、酷い女だ。

目の前にいるのは2匹の痩せ細った子猫。何とも言い難い3段階ぐらいのグラデーションがかった茶色と黒が不規則に混ざり合う子猫ちゃん。白い毛などはどこにも見当たらず、かろうじてお腹のあたりの毛が薄い茶色といった具合だ。

キトンブルーの目でどこか遠くを見つめ、怯えた表情でヨロヨロ、モゾモゾと2つの命が動いていた。

それはサビっぽい、キジトラだった。

とにかくお腹を満たしてやらねばと、慣れない手つきでミルクを与えた。

翌日以降、動物病院でエイズ検査、性別判断、生後日数判断、ワクチン摂取、ノミ予防、など初めてづくしのさまざまな手続きを行い、その過程ですでに自分たちで2匹を育てるという気持ちは固まっていた。

幸いにも当時住んでいたマンションは、動物OKの分譲賃貸だった事も後押しとなった。

2匹は女の子で、日に日にふっくらとした身体つきになり、よく食べ、よく寝て、よく暴れ回った。

柄は相変わらず、よくわからない3段ブラウンの不規則パターンだ。

「名前、どうする?」

そうだ、名前だ。

この何とも言えない、いかにも野良猫らしい、決してキャワウィィとは言い難い風貌。

「実はもう俺考えてんけど」

「え、マジで?」

「俺が拾ってきたから俺に決めさせて欲しい」

「そんなええ名前なん?」

「うん」

「じゃあいいよ、何て名前?」

「こっちがイーディ、こっちがツィギー」

名前負け感すごーーーー

イーディとは60年代のアメリカにおけるファッションアイコンであり、ツィギーとは70年代に活躍したイギリスの女優・歌手である。ご存知ない方にはぜひ、その美貌を検索してみていただきたい。

彼に、その子猫ちゃんたちはどう見えていたのだろう。今となっては聞く術もないが、とびきりの美人に見えていたのかもしれない。

その瞬間からイーディとツィギーになった2匹の猫は、その1年後に彼の元を飛び出した私と共に、人生を歩む事となった。

あれから十数年。

今、陽の当たる窓際に2人のために用意した肌触りの良いブランケットの上で、絡み合いながら、スヤスヤと寝息を立てている。

大体太陽が窓側に巡って来る14時頃に、2人揃ってそこに移動するのが日課だ。

猫はよく寝る動物だというが、本当に1日の大半を寝ている。高齢猫だからという事も要因の1つかもしれない。

お婆さん猫となり艶のなくなったパサついた毛並みも、ちょっと張りのなくなったヒゲも、ちゃんと引っ込められなくなった爪も、陽に照らされてキラキラと輝いている。

2人からは太陽の暖かくむせるような匂いがして、顔をうずめ、私も一緒に眠りたくなる。

こんな幸せな気持ちになれるなんて、十数年前の私は想像もしなかった。

あの時、ファーストインプレッションでキャワウィィと思えなかった2人が今はどの猫よりキャワウィィ。キングオブキャワウィィ。

もはや2人は、イーディとツィギー以外の何者でもない。


「ボセイって星ですか。でしたらそれは私からは遥か彼方、120億光年は離れているであろう星です。」

そんな捻くれた事を言ってのけようとする私に、それは星ではなく性ですねと素直に認めさせてくれる大切な存在なのだ。

「私は君たちを愛してるよ。そっちはどう?愛してる?」

今日も返事はないが、この片思いが永遠に続く事を私は願っている。


  #エッセイ , #ねこ , #在宅勤務 , #noteデビュー
#我が家のペット自慢








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