コロナスウェーデンさんの対策が評価されだす

わしはこのnoteでずっと年寄りはさっさと諦めろ、トリアージやりまくれ、命の選別をさっさとやれ。議論をきちんとしろと書き続けてた

どんどん年寄りを諦める命の選別をしろ。平均寿命超えてるコロナ患者は放置して、がんや交通事故を最優先しておけ。コロナ患者を最優先して、がん患者を後回しにするのも命の選別だろ。

この記事にも

スウェーデンは「高齢者を見捨てる国」などという印象をもたれてしまったが、助けられる命を助けるという考え方。若い人でも助けられないと思えば、受けられる医療がある意味限られますので、年齢に限らず、またコロナだからではなくて、その考え方はずっと変わっていない。

無駄なことをしても意味がない。お気持ちに寄り添うには資源が無限に必要である。

私から見ると、日本では助けられる可能性が高い人と低い人が一緒に病院に入っていて、新たに助けられそうな人が来て、ICUが必要になったとしても満床だと入れない。助けられそうな人を優先して入院させるといった合理性は日本にはないのかなと。おそらく私立の病院が8割の日本と公立の病院が8割のスウェーデンでは機動力というか、合理的にベッドを回すシステムが違うなという印象です。そしてスウェーデンでは、これには合理性がないからやめましょう、もうやりませんと言って、そこで問題があったとしても、病院の責任にはならないんですけれど、日本だと訴訟を含めた問題になってしまったりする。その辺を見ると、なんかモヤモヤする気持ちになりました。

もともと余命3年もないジジババコロナ患者を先に入れてしまって追い出せないから、妊婦が病院にかかれず新生児とともに死んでしまった事例を思い出す。

命は平等!とかいう寝言を叫んで、無限の資源を用意しない政府が悪い!と叫んでたゴミカスども。

こんな無駄をやってもらって感謝の言葉もない


スウェーデンではいわゆるトリアージ、合理的判断がはっきりしている。ちょっとでも望みがあれば頑張るという文化が元々ないんで。第一波の時には、この考え方が極端な運用になって、介護施設の高齢者がもしかしたら助かったかもしれないのに救急搬送されなかったなどで批判されたことはありました。日本だと1%でも望みがあれば、家族が「先生、頑張ってください、お願いします」と言う。本人の意識がない場合でも、家族が「もういいです」と言いにくい文化があるんじゃないかなと思います。医療へのかかり方も日本とは違います。日本みたいに多くのクリニックはないし、発熱ぐらいでは受診しない。自宅で療養し、それでも熱が下がらない場合には受診しますが、コロナは3日ぐらいたつと改善傾向になってくる。解熱剤は処方箋なしで薬局やスーパーで買えますし。日本は、ちょっと診察しすぎ、コロナの検査もしすぎだと思いますね。

戦前の大義に比して鴻毛より軽い命、の反動で戦後は命が無限の重さになってきた結果である。

死ぬ理由もなく生きる理由もなく。などてすめらぎはー

ほんとわしが最初からいったように年寄りが死にまくる病気は寿命や。何もするな。

子供や壮年が死ぬなら恐ろしい病気だから対応しまくれ。

前も同じことを書いたが、年寄の寿命を数年伸ばすために一人あたり2億以上の負担をかけてどうしたいんだ?700人のために2000万人の行動規制は認められるべきか?これこそトロッコ問題だのハーバード白熱授業だのでさんざん話をしてきたやつじゃねえのか。命の価値は無限大に尊いし一人も失われてはならない。という理屈でコロナのために何でもするとして。その結果の失業、不景気で失われる命の価値は関係ないのか?コロナのために救急病棟を年寄り専用にして、現役世代の交通事故や急病が後回しにする。それで死者が出てもそれはコロナ死者にならないので、報道されないからセーフなのか?医師会の発言は部分最適でしかないのではないか?という議論はないのか?

本当に命の選別をする社会的合意をとる政治家はおらんものかしら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?