「大切な人は今もそこにいる」(千葉 望 著)で東日本震災を想う

 朝日新聞(1月30日)の読書欄に、「当時を思い、今を考え直す糸口に」との見出しで紹介されていた。それだけであれば読もうとしなかったかもしれないが、「ひびきあう賢治と東日本大震災」という副題を見て、これは読まねばならぬと思った。とても読みやすく、週末ということもあって2日で読めた。
 自分にとっての震災は、過疎地の漁村集落の復興であり、まちの活性化であった。そして、きっかけも家屋の流出・倒壊の様子を記録するところからであった。もちろん当初、唐丹小白浜でも尾崎白浜でも亡くなった方の話を聞いて悼むことはあったし、テレビや映画で近い人を無くした悲しみを共にしたこともあるが、今は、まちの活性化しか頭になく、死者を想うことがなかったころもあり、改めて、一人一人の命が津波で奪われたことを思った。そして、著者の言葉にもあるように、それは災害死でも病死でも大事な人を失うということにおいて変わりはないし、人により状況により、死の受け止め方、受け入れ方がさまざまであることを思った。
 著者は、陸前高田の浄土真宗の寺に生まれ、花巻在の高校1年のときの祖父の死にあったことが初めに語られる。チリ津波のときは、一関に居たともある。そういえば、自分の最初の葬式は、母方の祖父の葬式で中学1年のときであった。東海道線で母と妹と3人で岐阜へ向かった。従兄たちと通夜に線香を絶やさぬようにと遅くまで起きていた記憶くらいしかない。27歳で母親を見送ったことは、死とは、と考えることになる。自分の場合の父は、36歳のときであったから、比べてみれなくもないとの印象もある。著者は母の年をとうに超えてるというが、自分も父の年を随分超えた。
東日本震災では、陸前高田の弟家族の安否がしばらくわからずに過ごしたという体験を読むと、自分にとっては他人事だった。福島で兄夫婦を亡くし、その幼子を引き取った人との出会いも、そして共鳴するところから、この本が生まれたのであろう。今も、行方不明の人が大勢いるのが、大津波の凄さだ。戦争と変わらない。
そして、何よりも、その生をつなぐもののことを思う。大切な人を失うとはどういうことかを、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、「永訣の朝」、「青森挽歌」で、追体験している。賢治をどう読むかということにおいては、まさに人それぞれではあるが、東日本震災を語るときに賢治を語らずにはおれないという人が、ここにもいたという想いは、何と記したらよいものか。本当にそうだ。
大切な人は、今もそこにいる。病気か、事故か、戦争かに変わりなく。そして、死に立ち会ったか、看取ったか、に関わりなく。

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