【休職】適応障害から3ヶ月が経った今思うこと
こんばんは。
久しぶりに綴ろうと思ったのも、他の方のnoteを読んでいて触発されたのかな。
近頃は人と話したり自身のノートに書いたりとこの場以外での自己表出の場があったからご無沙汰しちゃった。
3ヶ月も経つと休むことも上達してくる。
初めの頃は休むことに抵抗もあったし何をして過ごすのか分からずでなんだかむず痒い気持ちだった。(そもそも起居することができなかったもんね)
その間のことはまた改めてということで、今回は現状のことを綴っていく。
読んで欲しいという思いもあるけど、自分が綴りたいという思いが断然大きい。
今は心も身体も元気?になってきていて、朝起きた時に「あぁ、朝だ、起きたい!」って気持ちになれるし、夜には「あぁ、夜だ、寝よう!」って気持ちになれている。
感嘆符が示している通り明るく前向きな気持ちが先行している。
そして、ここまで思考のベクトルが自分にばかり向いていたものが少しずつ外向きになる時間が増えてきた。
冒頭にも書いた通り、人と会う、話す機会が以前よりも増えている。
だけど、だからと言って何でもやろうとは思わないし復職もしくは転職しようとも思わない。
自分と対峙する時間があったから、余計に今までの選択が自分にとって不健康だったことに気付けたし、これからの選択を急ぐことは自分にとって利のあることではないとよくよく分かる。
(久しぶりだからか筆が進みにくい、、、)
ひとまずは元気な状態を継続させるために早寝早起き・3食・適度な運動を続けることが目標。
そんな生活をしていると自分らしく生きられていると感じる瞬間が多くなっていることに気づいた。
これがすごく大きな気づきなんだよなぁ。
ちょっとここから話のペース上がるね。
今までは周りが、世間が、先達がいいと思っていることをいいのだと思い込む癖が刷り込まれていたのね。
自分という小さな塊に数多の着ぐるみを着せていく感じで覆われていったの。
そうすると自分本来の声が聞こえなくなっていて。
でも、今みたいに心を落ち着かせて、周りと自分とを切り離して、覆われていたものを全て取っ払って。
そうすると、自然に自分の声が聞こえてくるの。
自分が無理に叫ばなくても届く。
自分が無理に近づかなくても聞こえる。
そんな状態に今はなれている。
そして、その自分の声が聞こえた瞬間こそ、自分にとっての幸せなのかなって思う。
「あぁ、自分はここにいて、自分らしくいられている。」
きっと、このことを実感するための3ヶ月だったのかなと今だから言える。
とにかく先のことなんて分からない。(学生のときに今の自分を想像できたなんて微塵も思えないもの)
ただ、分かるのは今を自分らしく生きることがとぉっっっっっても素敵ってことだけ。
まだまだ書き足りないし、言葉足らずすぎてなかなか伝わらない文章だと思うけど勘弁。
なんとなくでも自分の言葉を綴れたことが今は嬉しい。
そして、ここまで読んでくれた人がいるなら感謝です。
最後までありがとう。
ではまた
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