僕にとって詩とは何だろう

書いていて楽しい文章、それが僕にとっての最初の詩です。

現在35歳の僕が初めて詩を書いたのは、確か中学一年生の頃ですね。
その時のログは残っていないですが、ちゃんと中二病だったはずです。

でも当時から、
ネットでお笑いの台本を審査し合うコミュニティに属していたので、
お笑い要素を入れていたはずです。
ちょっと思い出せそうなので、思い出してみます。

【忘れないで下さい】という詩を書いたことがありました。

 忘れないで下さい
 私がここにいたことを
 忘れないで下さい
 私が死んだとしても

と繰り返すように続いていき、

 忘れないで下さい
 さまぁ~ずには大竹さんがいることを

みたいな感じで、失礼な小ボケを挟んでいる詩だったような気がします。
(当時は三村さんのほうが有名だった。今はコンビバランス最強ですが

だから僕は、結構初期から詩にお笑い要素を入れたがっています。

お笑いの台本と並行して詩を書いたり、
詩のようなお笑い台本を書いたり、
この辺の線引きは常に曖昧ですね。

そもそも一般的な詩らしい詩を僕が書いたところで、
「もっと巧い人はいるしなぁ」と思っていました。

お笑いの台本もそうです。
漫才形式やコンビコントが主流だったそのコミュニティで、
僕が選んだスタイルはピンネタでした。

文字だけしかできない表現を模索していたこともありますが、
ピンネタばかり書いていた理由の一つに、
「それを僕が書いても巧い人はもっといるしなぁ」でした。

僕は常に出し抜くことだけを考えていました。
才能が人一倍無かった僕は、なんとか追い抜いて圧勝したい。
それが、人がやっていないことをするというスタンスでした。

今は詩らしい詩も書くようにしていますが、
(地方文芸賞に投稿しています、見えないところでやってます)
やっぱり自分が好きなことは自分しか書かない詩です。

ココア共和国御中に投稿している、
自分の詩が(一般的に)詩らしくないことは自分が一番分かっています。
だってお笑い要素が混ざっているんだもん。そりゃ変ですよ。

でも最初からそういう詩を投稿していたわけでもありません。
初期は『コミカルなウンコがいい』という気持ちを語った詩や、
真面目な全押韻詩などを投稿していました。

……コミカルなウンコがいい、は、ブレるな。
まあいいや、続けます。

ココア共和国御中は詩誌であり、コンテストでした。
また傑作に選ばれないと紙面には掲載されません。
当時の僕は紙面に載らない佳作ばかりでした。

どうしても傑作に載りたかったので、僕はやり方を変えることにしました。
それがあのぬいぐるみ(クッション)です。

でも本当の初期中の初期は、ぬいぐるみではありません。
あくまで僕が乳牛親衛隊として、うしくんを応援しているという詩でした。

でも僕が外から見るより、
ぬいぐるみに語らせたほうが早いし、正確だと思って、
ぬいぐるみに語らせることにしました。

それがまあ僕のあの詩なわけですが、
詩ですかね? いや詩じゃないかなぁ。一応詩のつもりです。
僕の詩は元々お笑いアリなので、僕は詩だと思っています。

ここから本題ですね、本題遅いですよね。すみません。

自分の詩を改めて、
客観的に一般的な詩と見比べると、詩じゃないですね。
でも一般的な詩は僕が書いても「僕が書いてもなぁ」なんです。
僕にとっては。
だから一般的な詩は書きたくない。自分の詩が書きたいんです。
誰かと一緒じゃ出し抜けないんですよね。

【詩って出し抜いていいものなんですか?
 自分の心を語らないといけないんじゃないんですか?】

いい質問ですね、
でもじゃあ何でみんな、人と違う詩を書こうとするのでしょうか。

 花が綺麗で、
 空は光って、
 海に涙する、

大体こうですよね、でもこれじゃ僕じゃなくてもいいんですよね、だから、

 花が腹立つくらい綺麗で、
 空は見下すように光って、
 海に勝てない自分に涙する、

んですよね、でもこれじゃ僕じゃなくてもいいんですよね、だから、

 花が激おこぷんぷ綺麗で、
 空は激おこぷんぷ光って、
 海に激おこぷんぷん酢(漬け用)、

なんですよね、酢って美味しいですよね、僕になりました。

だから僕は、多かれ少なかれ、
みんな自分の詩を書いていると思っています。
誰とも被らない、自分だけの詩です。
自分にしか表現できない、自分専用の言葉を。

凝っていった結果、あぁなってしまっただけです。
でも付け焼刃じゃない。

僕は転校も多く、友達が少なかったので、
昔からずっとずっとぬいぐるみと会話していました。

お笑い歴22年・詩歴20年(両方とも間に10年以上ブランクあり)、
小説歴5年、ぬいぐるみ会話歴32年でしょうか。

ぬいぐるみと対話することには慣れています。
昔から空想好きで、モノを見ているとモノの声を感じます。
ずっとそうやってきたので、もう何を見てもモノの声は感じます。
箸とかでも全然いけます。

だから、ぬいぐるみと詩を書くことにしました。
「別にいいでしょー、ほほほほー」

まあそれが詩かどうかって話なんですけども、
基本的に僕は詩だと思っているの一辺倒ですよね。

外的な描写がどうとかこうとか書いたこともありますが、
でもまあ詩と思えば詩ですよね。

ツイッターの呟きって全部詩ですよね、呟きって想いだから。
大体の言葉は詩だと思います。
レシピはレシピですが、
「そうめんが無かったので、きしめんで作りました!」
と書いたら詩ですよね。想いが入ったから。

とりあえず今は、
詩は【想いを自分にしかできない言葉で伝えること】だと思います。
自分しかできない言葉で伝えないと「僕がやらなくてもなぁ」になるので。

あとは
【自分にしかできない面白いをみんなに伝えたい】とか。
でも伝えなくても、ずっと心に秘めていても詩なのかなぁ、と。
自分が読み返すだけの文章もきっと詩だと思います。
いや、
伝えてこそ詩なのかなぁ、表に出してこそ。
この辺りは分かんないですね。
誰にも伝えなければ、ただの脳内の思考なのか。
誰にも伝えず紙に書くことは、思考の整理なのかもしれない。
でもそれ自体も、もはや詩なのかもしれないし。
脳内の思考も既に詩なのかもしれないし。

神社でお参りする時に考えている言葉は詩ですよね。
神様に伝えているから。

ちょっと行き詰ってきたので、この辺りで強制終了します。
今はこう思っているという通過点です。

結論の出ない文章を読んで頂き、誠に有難うございます。