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震災から10年。マジック1本の力/バスケ選手会チャリティーイベント

「控え室はないので学校の体育館にあるステージの上で着替えて、そこでお弁当食べてください!着替えたらポケットにマジック1本入れて、会場準備も手伝ってください!」

日本バスケットボール選手会が2014年6月に初めて復興支援活動として高台にある大船渡高校に現地入りした時の一幕だ。岩手県大船渡市は、東北新幹線の一ノ関駅からチャーターしたバスで2時間ーーー。岡田優介会長を筆頭に26名の選手が東日本大震災で被害が大きかった大船渡市に集まった。


始まりは大船渡

Bリーグが開幕する2年前。当時、NBLとbjリーグと2つのリーグが存在していた。リーグ統一に向けて選手なき議論が進められていることに危機感を覚えたNBLの選手たちが中心となり、選手が自発的にバスケットボール界の将来を考えて活動したいという想いから、2013年9月に一般社団法人日本バスケットボール選手会を設立。活動の大きな柱として復興支援活動(#jbpacharity)が実現した。選手会設立の背景はまたの機会にするが、設立するにあたり全選手が同じ方向を向いていたのが社会貢献であり、次世代のために何ができるのか、ということだった。

中心選手たちが議論する中で、2013年12月の会議でオフシーズンに復興支援を目的として東北でイベントを開催する方針が決まったが、その時はまだ被災地に行くのか、アクセスの良いアリーナでファン感謝デーのようなイベントにするのか、内容は未定だった。

日本協会を通じて、相談したところ岩手県バスケットボール協会が全面的に協力して頂けることになった。選手が現地入りする旨をお伝えすると、被災地の子供達との交流を願う声があり、県協会の藤原専務理事を中心に、会場や参加する子供達の日程調整、当日の運営協力など電話とメールだけで厚かましいお願いばかりだったが、子供達のためにという想いだけで快く協力頂いた。この段階で活動の方向性が決まり、被災地の体育館を利用して子供たちと交流するチャリティーイベントの原型が出来上がった。この活動は2016年にBリーグがスタートした後もオフシーズンの恒例の活動として続いている。(2020年は新型コロナウイルスの影響で中止)

選手自身が被災地に足を運ぶ意味

復興支援活動の主な目的は被災地の子供たちと一緒にバスケットボールを楽しむことだが、実は選手自身が被災地に足を運び、自分の目で見て、話を聞いて、感じることも目的のひとつとしている。選手たちの希望もあり、イベントの前には必ず被害が大きかった場所等に選手たちが立ち寄るようにしている。震災から月日が経ったとはいえ、毎年現地入りする選手たちは震災の大きな爪痕と長く続く復興への道のりを目の当たりにして沈黙する。

2019年6月に岩手県陸前高田市の高台に新設された夢たかたアリーナを会場としたが、2016年12月にようやく海岸災害復旧工事よる防波堤が完成したものの、かつて住居があったという沿岸エリアは大半が更地だった。津波の被害が大きかった沿岸部で震災遺構となった「奇跡の一本松」や旧気仙沼中学校状況を視察して、当時の様子や復興の進捗状況について現地スタッフから説明を受けた。


2018年は春に開校した宮城県名取市閖上小中学校を会場として中学生を対象に実施した。もう一つの会場となった三井アウトレットパーク仙台港に移動する際に東部復興道路(2019年11月に全線開通)を利用したが、当時は道路工事も一部続いており、海岸線から内陸に向かって何もなくなっている光景を見ながら選手たちを乗せたバスは北上した。三井アウトレットパーク仙台港では麒麟田村裕さん(バスケ芸人)、大神雄子さん(元バスケットボール女子日本代表)もゲストとして選手たちとともに会場を盛り上げてくれた。


2017年は東北ではなく、2016年4月14日に発生した熊本地震の被害を受けた熊本県上益城郡益城町を活動の場として選んだ。当時、地元熊本ヴォルターズで選手会の副会長を務めていた小林慎太郎選手の呼びかけにより実現した。当時チームがホームアリーナとして使用していた益城町総合体育館は天井板が崩落するなど修復不能な破損により、取り壊しが決定。小林選手が全国から集まった選手たちに被災時の状況やアリーナの被害状況を説明した。この頃からBリーグもB.HOPEとして社会貢献活動に力を入れるようになり、連携して活動している。(新しくなった益城町総合体育館は2020年7月から利用再開している)


2016年6月には福島県双葉郡広野町で25名の選手が参加した。会場入り前に、いわき市内沿岸部の被災地を視察。震災前に住宅が建ち並んでいた写真と現在の風景を見比べ、改めて被害の大きさを実感した。また、足を運んだ双葉郡広野町は福島第一原発から20~30km圏内に位置する。広野町と楢葉町との間にあるサッカーナショナルトレーニングセンターJヴィレッジは廃炉に向けた最前線の拠点となったことは有名だ。選手たちも避難指示区域を身近に体験したことで、バスケットボールができる日常が改めて恵まれていることを認識していた。(Jヴィレッジは2019年に全面営業再開)

企画も進行もカメラマンも全て選手が担当

チャリティーイベントは回数を重ねるにつれて恒例のコンテンツが生まれている。朝山正悟選手、鵜澤潤選手(現在Wリーグシャンソンコーチ)のベテランコンビによる進行や小学生相手に容赦なくダンクを連発するドリームマッチ、山田大治選手や川村卓也選手による縦横無尽なカメラマン、ソーシャルメディアリーダーも受賞する岡田優介選手による選手会アカウントのSNS更新など。伊藤大司選手は選手の割振りから時間管理まで全てをまとめてくれる。現在は若手選手にも引き継がれて、視察や協力頂いているリーグのスタッフの方々は準備から運営、撤収まで選手がやっていることに驚く。

選手会では選手たちがやりたいことを自分たちでやる、ことを大切にしている。チームであればスタッフが何事も用意してくれるが、選手会の活動は主体的な関わりを重視している。当然、現地主要都市までの移動の手配も精算手続きも選手自身が行う。会場準備から協力して、終了後に時間が許せばモップもかける。オフシーズンにアクセスが決して良いとは言えない被災地に全国から無報酬で選手は参加している。

名物?若手パフォーマンス

イベント内容は子供たちを楽しませること、バスケットボールを好きになってもらうことに重点をおいているため、高度なクリニックは実施していない。できる限り多くの選手と関わる機会を作り、全員が選手たちと対戦できる機会を作る工夫をしている。また、合間にはベテランからの無茶振りによる選手パフォーマンスも披露されることもあり、いまや日本代表のエースと言われる比江島慎選手も大船渡では若手組としてパフォーマンスした経験がある。また、劇団松島としてBリーグでも一躍注目を浴びた松島良豪選手(2020年引退)のパフォーマンスは、2017年の熊本開催から徐々に関係者に認知が始まったと思っている。

マジック1本の力

復興支援活動中、選手はマジックを一本ポケットに入れて、子供たちに求められれば可能な限りサインをするようにしている。通常リーグやクラブが主催するイベントでは、あり得ない対応だ。参加する子供たちもマナーを守り、選手も大勢参加しているからできる取り組みでもある。

参加した子供たちにはアシックスさん、ミズノさんから提供頂いた白いTシャツを着用する。イベントが終わる頃には笑顔と共にサインがびっしり。全国から選手が集まるため、選手の顔や名前をちゃんと把握していない子供もいるが、イベントが終わる頃にはしっかりと覚えて帰ってくれる。自分からサインをもらいに行くことで自然とコミュニケーションが生まれ、サインを書いている途中にも会話が生まれる。Tシャツに綺麗にサインを書くには、生地を引っ張る必要があるが、選手からも子供たちに協力してもらうことで一緒に作業をした体験として蓄積される。マジック1本の力をこの時以上に感じたことはない。

選手のつながり

2013年当時はNBLとbjリーグの2つのリーグが存在して、リーグを超えた選手の交流が少なかった。共演をNGとするリーグの方針もあり、リーグ統一に向けて選手たちが話合う機会もなかった。日本バスケットボール選手会はNBLに所属する選手が立ち上げたものの、当初からbjリーグの選手にも加入してもらうことを前提として、非公式にMTGに参加してもらい、情報や課題を共有することを是として活動していた。

大船渡のチャリティーイベントには、当時bjリーグ岩手に所属していた与那嶺翼選手(現琉球アカデミーコーチ)、仙台89ERSの志村雄彦選手(現89ERS社長)も参加しており、リーグ統一が進まない中で、選手たちはリーグの垣根もなく活動したという実績を作ったことは大きな一歩であり、両名の所属クラブの理解があって実現した。翌2015年に仙台で開催した際も89ERSに所属していた田中亮選手(現琉球スキルコーチ)、和田保彦選手が参加している。

現在もBリーグの選手同士でも世代や階層により交流は限られている。日本代表候補選手は定期的に各チームから選手が集められる場であり、交流が自然と発生するが、ほとんどの選手がチーム内もしくは高校や大学の同級や先輩後輩で関係が閉じていることが多い。決して悪いことではないが、偏った情報や相談できる先が限られるのは選手として不利益になる可能性がある。選手会もセーフティーネットの機能を持っているが、復興支援活動の場はひとりのバスケットボール選手として、ベテランから若手、日本代表など様々な選手が参加していて横のつながりを作る貴重な機会となっているはずだ。また、顧問弁護士の堀口さんも毎回イベント現場にボランティアとして協力頂いており、そこから様々な相談に発展することもある。 


選手たちの想い

2014年に始まった選手会のチャリティーイベントは延べ147名の選手が参加している。歴代の選手会長も岡田優介選手(14, 15, 18, 19)、竹内譲次選手(14, 17, 19)、田口成浩選手(18, 19)も積極的に参加している他、ベテラン勢では五十嵐圭選手(15)、柏木真介選手(15, 17)桜井良太選手(14, 15)、代表キャプテンの篠山竜青選手(15, 16)も代表活動時期でもある6月でもタイミングが合えば参加した。また、東北出身の選手が自ら参加することも多い。長谷川武選手(岩手県出身)、川村卓也選手(岩手県出身)、片岡大晴選手(宮城県出身)、畠山俊樹選手(宮城県出身)、栗原貴宏選手(福島県出身/2020年引退)、猪狩渉選手(福島県出身)ら地元協会の方々からすると小さい時から見ている選手たちの参加は喜ばれる。選手会は6回の開催を通じて子供たちを中心に1,500名を超える方々と交流した。参加した子供達の中からBリーガーが出てくる可能性もあるが、ひとりでも多くの方々がイベントをきっかけに前向きに生きることができれば、というのが選手たちの想いだろう。

最後に

復興支援活動は様々な形があるが、選手たちが話し合って形にしてきたのが、選手会のチャリティーイベントだ。選手会は労使交渉を目的とする労働組合ではなく、あえて一般社団法人として、選手の目線で考えた活動を少しずつ積み重ねていき、社会に貢献し、多くの方々に支持されるような組織を目指している。日本バスケットボール選手会は賛助会員(個人/法人)を募集している。選手会の活動に共感頂ける場合は、是非ご検討頂きたい。
http://j-bpa.com/membership/

3/11 追記
震災から10年となる日。岩手県上閉伊郡大槌町にバスケットボールコートを作るプロジェクトに選手会として支援を始めた。岩手県バスケットボール協会が支援する活動であるが、スポーツで町を元気にする一助になればと願う。

https://readyfor.jp/projects/hanamichi1031


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