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成分という考え方

実体的な見方と熱分解反応

 さて,次に中2理科「化学変化」における実体的な見方について話します。実体的な見方とは「見えないけれど,ある」と考える理科の見方のことでした。教科書では,最初に酸化銀の熱分解が扱われます。物質名反応式をもう一度,ここに書いておきますね。

【熱分解】 酸化銀 → 銀 + 酸素

 状態変化では,物質の温度が変化すると物質の状態も変化しました。水は温度が上がると水蒸気になって見えなくなりますが,温度を下げると水に戻ります。しかし化学変化の場合は温度が下がっても,決して元には戻らないのです。物質は加熱の前後で根本的な変化を起こします。

 酸化銀と酸素・銀との間に共通点があるかどうか,考えてみましょう。酸化銀は黒い色をした粉末状の物質で,電気を通しません。一方,銀は白色の物質で,磨くと金属光沢を持っており,電気を通します。酸素は無色透明の気体です。感覚的には,全く共通点は見つかりません。変化の前後において,物質の性質は何もかもが異なってしまっています。これをどう考えたら良いでしょうか。

左:酸化銀, 右:銀

「実体的な見方」は信念でもある

 古代ギリシャの哲学者・パルメニデスなら,きっとこう言うでしょう:酸化銀は消滅し,銀や酸素が新たに生成したように見える。消滅とは「ある」が「ない」になること,生成とは「ない」が「ある」になることである。しかしよく考えてみたまえ。「ある」と「ない」は互いに矛盾しており,絶対に両立することは不可能だ。だから,変化したように見えるが本当は変化していないのだ。

 感覚的には,共通点は何もない。しかし,ここで思考が止まってはいけない。「見えないけれど,何かがある」のではないか?それは何だろう?

 科学は哲学の子孫です。西洋哲学の伝統から言って,無から有が生じたり,有が無になったりすることは考えられません。本当の存在とは,いつでもどこでも常にあり,絶対に変化せず永遠でなければならないのです。

 これは信念であって,四季の移り変わりをあるがまま受け入れる日本人にとっては,あまり馴染みがない考え方かもしれません。

 ともあれ,もしこのような信念を持って現象を考えたとすれば,化学変化を「あぁ,変化したんだね」と,そのまま受け入れることはできなくなります。ではどうするか。

 根本的な変化が起きているように見えても,それは幻である。変化の前後で変化しない「何か」があるはずである。そのような信念を守るには,どう考えるべきか。その結果,「酸化銀の中には,見えないけれど酸素と銀が含まれているはずである」という推論がなされます。これが「成分」という考え方です。

成分とは考え方である

 物質とは感覚から得られるものの中で,特に性質に注目する見方でした。一方,成分は「ものの見方」ではなく,「考え方」であるように思われます。なぜなら性質に注目するのを止めて,より内面的な,信念のようなものから来る「何か」に注目が移っているからです。

 感覚から与えられる物質の根本的な変化と,絶対に変化しないものがあるはずであるという信念。この2つの矛盾した事態を前にして,信念を守るために思考によって作り出された考え。それが成分という考え方であり,単に感覚から得られるものではないでしょう。なぜなら,黒色で粉末状の酸化銀をいくら見たり触ったりしても,酸素や銀の存在を感じ取ることはできないからです。

 私たちは,感覚から得られる概念であれば「見るだけ」で理解できます。視覚的な映像は,感覚的な理解を促進するものです。一方,理科の概念の中には感覚とつながっておらず,思考のみによって辿り着かなければならないものもあります。このような概念を理解するには,自分自身で考えることによって,概念を「構築」していかなければなりません。その意味で,化学における「成分」の概念を理解するには,映像や動画は向いていないと思いました。

まとめ

  • 化学変化では,変化の前後の物質の性質は根本的に異なっており,感覚的には共通点を見出すことができない。

  • それでも,物質は変化しないはずである,という信念を守るためには,感覚的には分からなくても変化前の物質に変化後の物質が含まれていると考えるしかない。これが成分という考え方である。

  • 理科の概念には感覚によって捉えられないものがある。これを理解するには,自分自身で思考して心の中に概念を構築しなければならない。視覚を使う映像メディアなどの方法はあまり向いていないだろう。



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