割れた卵は不可算名詞だ。
後輩が卵をくれた。緑色のまるがたくさん描かれた卵、ヨッシーの卵だ。あまりゲームというものをせずに生きてきたのでヨッシーがこんな卵から生まれるのかと知って感心してしまった。てか恐竜だっけ、だから卵なのかな。こんなファンシーな卵から生まれるならきっとご陽気な子なんだろうな。
卵のことを考えていたらこの前四個入りの卵を買ってパックごと落とし、三個割ったことを思い出した。あれは悲しかった。いつもは六個入り、勢いあまっているときは十個入りを買う。でもそのとき私は倹約的になっていて、今週の動物性タンパク質として四個入りの卵を買ったのだ。それなのに落として三つ割る絶望たるや。
それ以来四個入りの卵は買っていない。別に四個入りを忌避しているわけじゃないけれど、六個いりだったら三個は生き残っていたんじゃ無いか、と思ってしまう。たぶん六個入りを落としたら五個割れるのだろう。
残り一個を大切に食べた。あとは豆腐で過ごした。
よくよくヨッシーの卵を観察すると、卵が入っていた箱に舌を伸ばすヨッシーがいた。もしかしてカメレオンなの?恐竜じゃないのかしら。マリオの知識は乏しい。そして検索する気にもあんまりならない。こいつが恐竜の卵であろうとカメレオンの卵であろうと、後輩がUSJのおみやげと言ってトートバッグからのっそり出してきた面白みは変わらないし、やっぱりヨッシーってやつはご陽気に違いないと思っている。
ヨッシーの卵の外箱を捨てて、その他部屋の中を掃除した。実家から持ってきた紙袋には何故か小さな「当」と書かれた赤い紙が入っていて、めくると「25」だった。
二十五個のヨッシーの卵を夢想する。