見出し画像

東京から鹿児島へ。移住と地域おこし協力隊着任のこれまでを振り返ってみる。

こんにちは。初めまして。青嵜(あおさき)です。
初めての記事に訪れていただいてありがとうございます。

2022年。コロナの猛威が始まって約2年が過ぎ、感染者数の推移は依然増減を繰り返しつつも、世の中は以前よりも少し移動がしやすい雰囲気になってきたように感じます。

そんな中、この6月末にそれまで長年住み慣れた東京を離れ、会社を辞め、ひとり鹿児島へ移住し、7月1日から新しい仕事がスタートしました。
これから新たに色々なことが進み始めるだろう今だからこそ、このタイミングで、これまでの経緯と、そこに至った背景を少し振り返ってみたいと思います。

もし同じような未来の姿を描いている方、地方との関わりや移住、仕事への悩み、迷い、疑問を持っている方の何かの役に立てるなら嬉しいです。
そして、いつかの自分のためにも。


さて、まずはそもそもの僕の自己紹介から。

  • 青嵜直樹(あおさき なおき)

  • 東京生まれ、東京育ちの42歳

  • 家族は、妻と猫2匹(まめこ♀/櫂♂)

  • 場づくりやその運営に関わる仕事に携わる。

  • 学生時代から唯一続けている写真が趣味。
    地元の食べ物・お酒との出会いと食文化の背景を知るのが最近のツボ。



そんな僕ですが、なぜ鹿児島なのか?
そのご縁は妻の実家が鹿児島だったことが大きくて、結婚を機に生まれて初めて鹿児島を訪れたときの、何とも形容し難い魅力に一目惚れしたのが理由です。

後からそれっぽい理屈をいくらでも付け加えることができるけど、最初に両手離しで感じたあの感覚は強烈で、そこから鹿児島生活への憧れが始まりました。2018年の夏のことです。

初めて鹿児島を訪れたときに錦江湾沿いを霧島から垂水方面へ向かう途中から眺めた桜島


さらに、長年受け継がれてきた妻方のお墓を途絶えることなく、祖先のために1世代でも未来へ繋ぎたいという想いを受け、青嵜のお墓は兄弟にお願いし、僕は結婚を機に鹿児島のお墓に入ることを決めました。

さて、この世を去るときですが、おそらく家族か僕のいずれかが先に旅立つと思います。

そうなると、どちらが先でも残された方はお墓がある現地に住むことになるだろうと想像しつつ、僕にとっては現地に家族以外の知り合いがいないので、晩年に移住した場合の孤独感は容易に想像できました。

また、一人にならないにしても高齢になって初めて現地に住み、近隣の方との交流、家やお墓のメンテナンスをやるには今ほど気持ちや身体が追いつかなくなるかも、という危機感も感じていました。

ただ、その危機感に対する具体的な解決策はなく、初めて出会った鹿児島への憧れもそのままに約2年が過ぎることになります。

とにかく変えたかったのは、僕と鹿児島との接点は家族しかいない、という状況です。

そんな想いはあるものの、東京での仕事を継続しつつ、副業としてリモートでしっかりと鹿児島に関わる仕事も良い形が見つからない。
関わり方も、旅行か移住かといったゼロイチのような極端な形しか、その当時は行き当たらない。
そんな中、第3の道はないものかとネットを探して行き着いたのが、全国に7人しかいない地域おこし協力隊の専門相談員の方の記事。
2020年の夏のことでした。


これだ!!と思ったら早いもので、SNSからDMをお送りし、偶然にも東京にいらっしゃるタイミングがあることを教えていただいてお話を伺うまで、あっという間に事が運んだのは正に幸運でした。

そして、実際にお会いした話の中で吉村さんからご紹介いただいたイベントが、今に至る僕の未来を大きく変える出会いに繋がったのです。

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?