Portrait
随分と昔でどんな一日だったのか、もう記憶が遠すぎて解らないけれど、緑が綺麗な日に撮影して貰いたくて、友人に頼んだPortrait。
思い返すと随分おだやかな思い出のようだ。なんだかあれから遠いところへ来てしまった気がする。この場所が無くなったわけでもないのに。
緑や陽溜まりが綺麗だった事とか、公園の昼下がりの穏やかな空気とか、そういうものを思い出す。
eに撮影して貰うのは、友人なので気も楽だった。けど、今思えばeは撮影をする側だからそうでもなかったのかもしれないな。こちらが甘えていただけだろう。
この後にも、もちろんeや別の友人との穏やかな一日というのはあったんだけれど、現実は生きれば生きるほど差し迫ってくるから、この当時ほど、そんな緑の美しさや昼下がりの空気に、穏やかなばかりでいられる事は無かったような気がする。当時だって平穏ではなかったのに。
コロナ禍になる前までは、殆ど毎年会って貰っていたと思うけれど、お互い追い立てられるように生きてきたような。
eとは趣味も精神も人生観も、分かち合えるものが自分にとって多くて、いつもこれが最後かも、なんだかんだ言いながら渋とく来年も会えるかも、などと言い合いながら生きている。
eの冗談が面白いから、いつも本当に楽しくて、でもいつも先がないような気持ちでいた。これからも、きっとそうだろう。
幸せの青い鳥を探していたような写真だった。
幸せになりたいと思ったことはないけれど、当時まだ世界から逃げ回りながら、なにかを探していたのは確かだった。いつのまにか諦めてしまった。
Lucifer Luscious ViolenoueのWENDYみたいに。
それでも今になって、もう全部これまであったものは出してしまおうとして
その事でいろんな方と知り合って、また少しだけ当時みていたような、好きなバンドの見せてくれた夢の世界のようなものを、思い出したりしている。
現実にやられて死んでしまったようなものを。
夢の意味はひとつではないけれど、みんな夢をみていたと思うし、今も見ている人もいるだろう。
現実との折り合いはいつも難しい。
自分がどうなるか解らないけど、みんなが自分の願う自分になれて、安心できる場所に辿り着けたらいいなと心から想う。綺麗事だとしても。
撮影し難い環境でパーツを飛ばさず撮ってくれて有難う。eの撮影の腕や優しさに心から感謝してます。
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これまでサポートくださった方、本当にありがとうございました!