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(小説)風の放送局(五)

(五)坂の上の家(大橋純子 一九七六年)
 一九八〇年×二〇一〇年の七月三十日

 海雪が毎日来るのは困難だと分かった少年は、それからは気長に待つようになった。
 昨日の二十九日は、確かに来なかった。
『JOKA―FM、こちらは風の放送局です。おはよう、今朝は二〇一〇年七月三十日。久し振りに穏やかな、夏の夜明けになったね』
 どうせ今日も海雪は来ないだろうと、少年は期待せず、以前のように風の放送局に耳を傾けた。
『いいかい。命はね、生きている時間よりも、生きていない時間の方が圧倒的に長いんだよ。例えば一日に朝と昼と夜があって、夜は多くの人が眠っているけれど、それでも夜だって確かに一日の一部であるように。おんなじように一年にも四季があって、冬だね。冬には多くの植物が枯れたり、中には冬眠する動物だっている。それでもやっぱり冬だって、確かに一年の一部であるように……』
 はあ、何のこっちゃ。このおっさん、相変わらずだなあ。ふわーーっ、ねっみい。
 いつもながらの退屈かつ屁理屈なお喋りに、少年は大欠伸。しかしCOUGARの中の、風の放送局の語りは熱かった。正に熱弁である。
『ほら、例えば花を見てごらん。花だって咲いてる時だけがすべてじゃないし、土から顔を出しているばかりでもない。いつかやがて花は散ってしまう。でもそれで花の命のすべてが終わった訳じゃなくて、ちゃんと種を残している。種は土に眠り、そしてまた新しい春の日に目を覚まし、土の中から顔を出すだろ』
 花かあ。人と花とを、一緒にされてもなあ……。
 少年は漠然と疑問を抱いた。
『ほら、例えば蝉を見てごらん。蝉の寿命は一週間かそこらだって言うけど、成虫になるまで幼虫として何年も何年も土の中で暮らしているじゃないか。
 だからやっぱり、命っていうのはね。目に見えている時間よりも、目には見えない詰まりあたかも生きていないかのように感じられ、けれどそれでも確かに生きている時間の方が、圧倒的に長いんだよ。
 ただぼくたちの目の前にいないから、だからぼくたち人間は、生きていない詰まり死んでいると勝手に思い込んでいるだけ。人間ってのは、とっても面倒臭がりな生きものだからね。目に見えない事象はみんな、単に死と呼んで片付ける。それで無理矢理、納得しているだけなのかも知れないよ』
 さっきから何か夢中で喋ってらっしゃるみたいですけど、さっぱり意味不明……。でも、娘さんの為に一生懸命だっていう、その熱意と言うか誠実さだけは感じるよ。うん、泣けて来る位にね。情熱って言うやつですか、風の放送局さん。
 ふわーっ。でもやっぱ、ねっみーーっ。
 少年はまた欠伸。そしてとうとう、うとうとし始めたのだった。
『だから、命が目に見える存在から目に見えない存在へと変貌を遂げるその現象を、仮に死などと呼ぶより、例えば脱皮、昇華、或いは卒業、なんて言葉で表現した方が、ぼくは絶対に適切だと常々思っているんだけどね。どうかな、きみは。
 ね、卒業、なんて、本当に素敵な言い方だと思わないかい。
 あたかも蝶のさなぎが羽化し、蝶となって空へと羽ばたいてゆくように、脱皮、昇華、そして卒業……。それでも確かに、蝶と言う生きものの命は存在し続ける。ただ地を這っていた毛虫はいなくなり、代わりに空を飛ぶ蝶がいるってだけのこと。詰まり、命は命であり続けるということなのさ。うん……。
 本来死とは、そういうものなのでは、ないだろうか。いいかい、だから』
 COUGARから流れ来る熱弁をよそに、残念ながら少年はこっくり、こっくり、既に眠りの中に落ちていた。
『命は死んでも、いや死と名付けられた現象の後にも、それですべてがお終いなんかじゃ決してなくてさ。命はちゃんと、生き続けるんだよ、ね。
 おっと。ちょっと話が、長くて理屈っぽくなっちゃった。今頃きみは、退屈で退屈で欠伸なんかしてそうだね。よし、ではこの辺で次の曲と行こう。大橋純子の、坂の上の家。どうぞ』
 COUGARから、曲が流れ出した。
 その時、とんとん、とんとん。寝ている少年の肩を、誰かが叩く。
 ふわーーーっ。
 大欠伸しながら少年は、如何にも眠そうに瞼を開いた。
「おはよう」
 えっ。
 吃驚した少年は、一気に目が覚めた。目の前に、海雪が立っていたから。
「あっ、おはようございます」
「ラジオ、退屈な話だったみたいね」
「そうなんですよ、いつもこんな調子で」
 居眠りしてた自分が恥ずかしくて、少年は言い訳。海雪はいつものように、COUGARの横に腰を下ろした。やっぱり今日も、海雪は白いワンピースを着ていた。そのお尻がまた砂で汚れる。
 ふたりは黙って、COUGARの曲に耳を傾けた。今ふたりの耳に聴こえ来るのは、ラジオの歌と潮騒と、そして蝉時雨。まだ夜明けの時刻だというのに、海沿いのプラタナスの並木からは、もう蝉たちの合唱が聴こえて来るのだった。
「やっぱりいいね、蝉の声」
「うん」
「わたし、蝉大好き。命を削るみたいに、必死に一生懸命鳴いてる気がして」
「そうだね。時を惜しんで鳴いてる感じ」
「そうそう。丸で、わたしみたいでしょ」
「えっ」
 少年はどきっとした。けれど気にせず海雪は立ち上がり、ひとり海へと歩き出した。
 空は晴れ渡り、潮風は頬にやさしかった。海雪の頬をくすぐり、短い髪を揺らして、風が駆け抜けてゆく。
 波打ち際で立ち止まった海雪は、背中を向けたまま唐突に少年に問い掛けた。
「ねえ、死ぬって実際、どんな感じだと思う」
「ええっ」
 少年はまた、どきっとした。
 そんなの、分かる訳ないよ……。
 答えに困り、少年は海雪の後姿を見詰めた。細く痩せたその背中を。
「ねえ、死んだら、どうなっちゃうの。なんか知ってたら、教えて」
 丸で雑談でもするかのように、今度は振り返り海雪は続けた。少年は腕を組み、首を傾げるしかなかった。
 知る訳ないだろ。死んだこと、一度もないんだから……。
 仕方なし思い付くまま、少年は適当に喋った。
「ええとね、それは」
「うん、なーに」
「死んだらそれでお終い、何にも残らないって説と、死んでも魂は残るっていう説と、両方あるみたいだけど」
「成る程。魂、か」
「うん」
「じゃ、残った魂はどうなるの、わたしの魂は」
「ええっ。行き成り、海雪さんの魂になっちゃうの」
「ごめん、ごめん。冗談よ。一般的に、死んだ後魂はどうなるの」
「それは……。確か、死後の世界っていうのがあって」
「出た。死後の世界」
 海雪はおどけて笑った。
「だって、他に言い様ないし」
「そりゃそうね、ごめん。で」
「そこには、天国と地獄があって、そのどっちかに行くんだって」
「天国と地獄かあ。ほんとにそんなとこ、あんのかなあ」
 海雪も腕組み、そして海に目を向けた。
「うーーん、分かんないけど。あと、生まれ変わる、なんて説も」
「ああ、生まれ変わりね。輪廻転生ってやつ」
 輪廻転生。海雪さん、そんな言葉も知ってるんだ。でも、そうかもね……。
 海雪はサンダルを脱いで一歩二歩海に近付くと、寄せ返す波に素足を入れた。
「うわあ、気持ちいい」
 ひんやりとした海水が、海雪の足首に絡み付いて来る。海雪はしばし波と戯れた。その間少年は改めて、死について考えてみた。真面目に、真剣に、今目の前にいる海雪の為に……。
 死。
 それは、或る日この世界に生まれて来た俺が、また或る日、折角住み慣れたこの世界から、突然いなくなってしまうってこと。
 で、俺がもし死んでもさ。この世界は、俺が死んだことなんか丸でお構いなしに、なんにも変わることなく、何事もなかったかのように、そのまんま延々と続いてゆくんだよ。うん。
 でもさ……。それって、なんか不思議。それってとっても、変な感じがしてならない。だって、それじゃ俺って何の為に生きてたの。何の為に生まれて来た訳、俺って。これじゃ、最初から生まれて来ても来なくても、おんなじだったみたいじゃないか。俺なんか、別に生まれたり、一生懸命生きたりしなくても良かったんじゃないの。その必要性なんか、全然なかったりして……。なーんて、つい思ってしまう、今日この頃です、はい。
 それにさ。この世界から、いなくなってしまうって、どういうこと。いなくなって俺は、一体じゃ何処行くの。さっきの話じゃないけど、俺の魂ってやつは。
 あ、違う。あくまでも魂の存在っていうのは現段階ではまだ仮説に過ぎなくて、だから魂なんか無いってことになれば……。死んだら俺は何処にも行かない、ただ俺は俺の肉体の消滅と共に、俺の存在自体をすべて失ってしまうのだ。詰まり、完全に俺は、何処にも存在しなくなってしまうってこと。完全な、無って訳。
 完全なる無。無、むむむっ。でもそれって、すっげー寂しいよ……。それよっかまだ、俺の魂が死後の世界でも天国でも地獄でも何処でもいいから、残ってくれた方がいい。或いは生まれ変わって、何処かで生き続けて欲しい。
 でも、どっちにしても兎に角、俺が死んだら俺はもう、今のこの世界とはまったく無関係になってしまう。ぷっつんと縁の糸が切れて、すべての人々と、はい、さようなら、って訳だ。
 げ、くっそーーっ。なんか空しい。今迄こんなに一生懸命、まだ十八年間だけど、何とかがんばって生きて来たっていうのに。とてつもなく空し過ぎる……。これじゃ俺の人生、何て言うか、ただのゴミ屑みたいなもんじゃないか。ゴミ屑で悪けりゃ、そうだな、泡粒みたいなもんすか。くーっ、泡ねえ。一粒の泡粒かよ、俺の人生、とほほほほ。
 泡……。泡と言えば、ユーミン並びにハイファイセットの名曲、海を見ていた午後、に出て来るソーダ水。そうだ、俺の人生は、ソーダ水の中の、一粒の泡の欠片に過ぎない。透き通った青いソーダ水の中で、ぷしゅっと生まれて、そしてぷしゅっと潰れて、儚くも消え去るのみ。ぷしゅっと溶けて、あーあ、おっしまい。ちゃんちゃん。
 後は延々と、俺とはまったく無関係な青いソーダ水の世界が続いてゆき、ソーダ水自体は何も変わらないまま。古い泡粒が潰れ、また新しい泡粒が生まれ、古い泡粒は跡形もなく消えてゆくだけ。ああ、ただそれだけのこと。ただその繰り返しに過ぎないのさ、この世界ってやつは。
 とほほ。やっぱり俺、空しい。空し過ぎる……。
 ふと見ると、いつのまにか、海雪は踊っていた。男の子のように、を口遊みながら、クルクルとワンピースのスカートを揺らし、それは楽しそうに気持ち良さそうに。
 海雪さん。人生なんてみんな、青いソーダ水の中の、一粒の泡に過ぎないって言うのに。きみは、あなたは……。
 ぼんやりと海雪の歌を聴き、踊りを眺めながら、少年ははっと気が付いた。
 そうだ、海雪さん。さっき俺に行き成り、あんな死に関する質問をして来たけど、あれってやっぱり、死ぬことが恐いからなんだよね……。
 しかし少年はかぶりを振った。
 そりゃそうだろ、今更何言ってんだ、ばかか俺。当ったり前じゃんか、そんなの。死ぬことを恐れない人間なんているわけないし、まして海雪さんはまだ若い女の子じゃないか。
 問題は、そんな海雪さんに対して、俺は何にもして上げられないってことなんだよ。がんばれ、なんてとても言えないし、そもそもがんばれって、海雪さんの場合一体何をどうがんばればいいってんだよ。お医者さんからも見放され、あと半年の命だって宣告された人に……。
 少年の額に汗が滲み、それは涙の雫にも似て少年の頬へと流れ落ちた。唇を噛み締めれば、汗は塩っ辛かった。
 くっそお……。
 少年はぎゅっと握り拳を作った。既に踊り終えた海雪が、海雪の額にもキラリと汗が光っていて、寄せ返す波と無邪気に戯れていた。
 海辺は静かだった。波は穏やかで、潮風もやさしい。相変わらず、遠くで蝉たちが鳴いていた。その声が少年の耳に、痛い程に響いて来る。海雪が言った通り、蝉たちは命を削るように一心に鳴いているのだ。不意に少年の目に、涙が込み上げて来た。
 う、やばいっ。
 泣き出しそうな少年に気付いたのか、海雪が話し掛けて来た。
「どうしたの、きみ」
「えっ」
「なんか、深刻そうな顔しちゃってるから」
 笑い掛ける海雪の顔がやさしかった。太陽みたいにあったかな人だと、少年は思った。尤も現在の太陽は灼熱で、あったかいを通り越して熱過ぎたけれど。
「何でもない、何でもない。ちょっと考え事してたから」
「考え事かあ。だからそんな時は、海を見るといいんだよって、こないだ言ったでしょ、わたし。ほら見て、あの水平線」
「水平線」
 少年は腰を上げ、言われるままに遥か彼方の水平線を眺めた。朝焼けの中にそれは、空と海を隔てるようにまっ直ぐに伸びていた。海雪と共に、しばし黙って見詰めていた。
 水平線かあ。水平線って……。
 少年はまた、死に、思いを馳せた。
 この青いソーダ水の世界の中で、人生は一粒の泡粒なのだ。青いソーダ水の世界って言うのが詰まり海で、じゃ空は何だろ。水平線っていうのが、生と死の境界線だとしたら……。
 あっ、そうか。詰まり、水平線の下にある海が俺たちが生きているこの世界で、じゃ水平線の上の空は、天国か。詰まり死後の世界ってやつだな。
 なーるほど。で泡粒である俺は、死んだら溶けて蒸発して、大気中をふわふわと空に昇ってゆく。なんか、ユーミンのひこうき雲、みたい。あっ、それで昇天か。正に字の通り、死んだら俺は、天に昇るんだよ、俺って魂がさ。ふーん。
 もし、そうだとしたら、いいなあ。だってもし俺が死んでも、俺は魂となってちゃんとこの空の中にいて、海とか地上を眺めてるって訳だろ。例えば海雪さんが言ったように、風になってね。風、かあ。
 でも死後の世界なんて、本当にあんのかな。それが最大の問題なんだよ。もし仮に死後の世界があるとして、そこがこの空みたいな場所でさ、魂が風みたいなもんだとしたら。だったら、うん、そんなに死ぬことも、死も、辛く悲しいことばかりでも、ないのかも知れない……。
 少年は海雪を見詰めた。海雪の痩せた背中を。
「また、考えごと」
「うん。まあね」
 笑い掛ける海雪に、少年は笑い返した。

 寄せ返す波の音に混じって、COUGARから、風の放送局のお喋りが聴こえて来た。
 きっとまた、理屈っぽい話なんだろうなあ。
 ため息を零しながら、少年は放送に耳を傾けた。
『どうして人は、自分の前からいなくなった誰かのことを、忘れてしまうんだろう。その人のことも、その人と共に過ごした大切な時間、かけがえのない思い出も。みんな、何もかも……。
 誰も忘れようなんて、決して望んではいない筈さ。でも人間ってやつは、とても悲しい生きもののようでね。いつのまにか、忘れてしまう。静かな時の流れと共に。それは、とっても辛く悲しいことだ。確かに、寂しいことだけど……。
 きみは、覚えているかい。きみとふたりだけで初めて行った、あの名画座のことを。あの時、きみはまだ中学生だったね。
 観たのは、バーブラ・ストライサンドの、追憶(一九七三年)だった。きみにはまだ、ちょっと難しい映画かも知れない、なんて思ったけど。でもきみは、ラストシーンで涙ぐんでいたね。ぼくは吃驚したよ。
 映画の主題歌、覚えているかな。バーブラ・ストライサンドは、こう歌っていた。
 思い出は美しいけれど、思い出すと胸が痛む。だからわたしたちは、忘れることを選んだのだ、と……。
 でもぼくは、忘れない。いや、たとえ忘れたとしても、いつかまた思い出せる。何でもない日常生活の、他愛ない、ふとした瞬間に。その時のはざまに、ふっと脳裏に甦るんだ。誰かとのささやかな、時の分かち合いがね。
 だから、覚えているっていうことと、忘れてしまうっていうことは、実はきっと、同じことなんだよ。例えばね、それは例えば、水平線上の空と海の違い、位しかなくてさ。忘れるっていうことは、いつかまた思い出す為に、しばらく何処かに、そっと隠しておくこと……。
 うん、そんな気がするんだよ。なーんてね。ぼくはそう思いたい。いや、そう思う。きみは、どうかな……。ごめんね。また、強がりを言ってしまって』
 水平線……。
 少年は、どきっとした。
 俺もさっき、水平線のこと考えてたら、この人も……。
 確かに死って言うのは、それ自体悲しいことだけど、死んだ後に、みんなから忘れられてしまうってことも辛いよなあ。
 そうなんだ。死んだ人はいつか、跡形もなく忘れ去られてしまう。その人がいないことが、当たり前になってしまうんだよ。それは、忘れられる側にとっても、忘れてしまう方にとっても、とっても、とっても悲しいことなんだ……。
 ふと海雪の方を見ると、海雪の目に涙が滲んでいた。
 海雪さん……。
 どきっとした少年は、思わず声を掛けた。
「どうしたの」
 すると海雪は涙を拭いながら、微笑んでみせた。
「ごめん、ごめん。ラジオの中の、きみって子が中学生だった時の話聴いて……」
「うん」
「急に中学の時に書いた詩が、浮かんで来ちゃったの」
「詩が」
「うん、こんな感じ。ちょっと、聴いてくれる」
 そう言うと海雪は目を瞑り、ゆっくりと詩を口遊んだ。少年が海雪の詩を聴くのは、これが初めてのことだった。
「わたしの中にも海があって
 泣きたい時わたしはいつも
 わたしの中の潮騒に耳を傾ける

 沖の彼方に消えてゆく
 遠い記憶を懐かしむように
 そして夜明けの星が
 海の彼方に消えてゆく時

 わたしは静かに、あきらめる」
 諦める。どきっ。
 少年はじっと、海雪の顔を見詰めていた。風の放送局が、放送の終わりを告げる。
『それじゃ、今朝の放送はこれでお終い。後はいつものように、波の音を流します。では、また明日』
 また明日って。あれっ、いつものエンディングテーマは無しですか、風の放送局さん。白いページの中に、聴きたいんですけど、俺……。
 戸惑う少年をよそに、海雪もまた別れを告げた。
「じゃ、わたしも帰る」
 えっ。
 いつものことながら、お別れの時間だと分かってはいても、少年はつい寂しさが込み上げて来るのだった。
「じゃ、またね」
 海雪は手を振りながら、さっさと歩き出す。風の放送局が映画の話をしていたことを思い出し、少年は海雪に向かって叫んだ。
「ねえ海雪さん、今度……」
 けれど海雪の姿は既に、プラタナスの陰に隠れてしまっていた。
 あーあ、遅かった。映画は、今度誘ってみよう……。
 後には、波の音だけがしていた。COUGARと、目の前の海の両方から。
 波打ち際の波が、海雪の足跡を消してゆくのを、少年はただぼんやりと見ていた。


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