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(小説)交響曲第五番(一・五)

(一・五)第一ラウンド・2分30秒

 また冬が訪れた。留萌港が一番荒々しい姿を見せる季節だ。雪が降れば、直ぐに積もった。港も雪に覆われた。こうなったら埠頭で大の字になって寝るなど、とてもじゃないが至難の業。幾ら頑張ってお得意のシャドウボクシングで体を温めた所で、冷える方が速くてとても追い付かない。そこで毛布持参で漁船に忍び込み、波に枕を揺らされながらなんとか眠った。と言いたい所だけれど、それすらも困難を極めた。そんなことしてたら一晩で凍え死んでしまう。自分は福寿荘に戻るしか、仕方がなかった。でも戻ったら戻ったで、隣りから幸子と男の例の声が聴こえて来る。まったく嫌で嫌でならなかった。だから留萌の冬は寒いからだけでなく、嫌だった。早くこの凍り付いた冬の街から、逃げ出したいと毎晩念じていた。ひたすら堪えて、差し当たっては春、ただ春を待ち侘びた。
 春が訪れ、自分も昇たちも無事中学二年に進級した。なんやかやで昇、利郎、ガイコツ、自分の四人組は、しっかりと試験勉強もやっていたのだ。があんまり調子に乗り過ぎて、勉強なんざ試験前にやりゃいいからと、日頃の授業をさぼることを覚えた。
 四人組のリーダーは昇で、いつのまにか髪をリーゼントにしていた。酒、煙草を覚えたのも昇が、四人の中で一番だった。自分はと言えば、酒は苦くて不味い。吐きそうになり、生理的に受け付けなかった。煙草にしても、喫煙の習慣からシャドウボクシングで息切れするようになってしまい、慌てて止めた。髪型はリーゼントの代わりに、丸刈りをスポーツ刈りに切り替えた。
 泪橋のお峰が、とうとう死んだらしい。病院嫌いでずっと家で寝込んでいたのが、余りに具合が酷くなり病院で検査した所、胃に癌が見付かって即入院。それからあっという間だったと言う。
「人間なんて儚いものね」
 などと分かったような口を幸子が利くから、何を今更と思ったけれど、自分にとってもお峰が死んだという現実は重かった。誰かが死んだというのは、今迄世話になった他人の中で初めてのことだったのだから。それにお峰と言えば矢張り、泪橋の事務室のあの大型白黒TVであしたのジョーを見せてくれたこと。それが昨日のことのように、いつまでも忘れられなかった。ひとつの故郷を失くしたような、そんな気持ちがしてならなかった。
「店閉めるかも知れないって。そしたら失業しちゃう。どうしよう、やっちゃん」
 珍しく幸子が、うろたえていた。
「知らねえよ、そんなこた」
 泪橋が潰れたら確かに自分としても困るのだが、幸子に対しては兎に角口答えしか出来ない、その頃の自分だった。
 幸子と口論になってむしゃくしゃする時は、決まって仲間の元へ直行した。まだ早い時間なら、港通りのゲーセンでたむろしている筈。
「どうしたん、保雄。またおふくろさんと喧嘩か」
 いつもヘラヘラと笑うガイコツが冷やかす。
「関係ねえよ。それよっか、昇は」
 ゲーセンにいたのはガイコツと利郎だけで、昇の姿はなかった。近頃実は、昇の様子がおかしかった。
「いねえ。あいつ、最近付き合いわりいな」
 心配する利郎に、ヘラヘラ笑いのガイコツが冗談を飛ばす。
「彼女でも、出来たんでねえの」
 兎に角一度、あいつが何やってんのか確かめないと。そう思っていた矢先、昇が学校に姿を見せなくなった。
 焦った自分は利郎とガイコツの三人で、昇の家を訪ねた。貧乏長屋の一角の古びた家だった。しかしそこには、昇の病弱な母親が寝たきりでいるだけだった。母親に尋ねると、衝撃の答えがそして返って来た。
「あの子は、稲藤会に行っちゃったよ」
 稲藤会とは、地元の暴力団だ。昇は以前言っていた通り、ヤクザになったのだった。
「昇のバカ野郎」
 留萌港の埠頭で夕焼けを見詰めながら、利郎、ガイコツと共に自分は涙に暮れた。ふたりが去りひとりになったら、狂ったようにシャドウボクシングで気を紛らわした。けれどしばらくは、悔し涙に拳が濡れた。

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