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(小説)交響曲第五番(三・二)

(三・二)第三ラウンド・1分

 そして東京での生活即ち野宿が始まった。東京に着けばなんとかなる、そんな考えは甘い幻想に過ぎなかった。東京に来たからといって、状況は何も変わらなかった。一からやり直すもなにも、この街で天涯孤独な自分には結局、野宿以外生きてゆく術はなかったのだから。
 野宿。メインの場所は風の丘公園としながらも、人に怪しまれないように、他の公園、空き地を転々とした。幸い上野駅周辺には商店街も公園も多数有り、ちょっと歩けば地下鉄や隣りの駅にも行けた。昼間は公園、駅の前、デパートのベンチなどで時間を潰した。公園には自分と同じく野宿する者がたくさん集まり、しかもみんな年上。怒鳴られたり、追っ払われたりもした。雨の日は屋根のある場所を求め、高架下や電話ボックスの中、シャッターの下りたアーケード街の隅でじっとしていた。何処に行っても、暑さと虫に襲われた。食物はスーパーで弁当を購入してぱくついた。風呂については、公園の水道で洗ったり、銭湯にも入った。洗濯は銭湯に入った際、隣りのコインランドリーで済ませた。この頃には既に警察に捕まるという恐怖心は消えていたが、野宿の中で一日一日をどう生き抜くか、それが自分の生活のすべてとなっていた。
 しかし時には過去を思い出し、辛さに打ちのめされることもあった。そして孤独に襲われた。自分は孤独には強い方だという自信は、見事に打ち砕かれた。でも当たり前と言えば当たり前。なぜなら自分はまだ、僅か十五歳の少年に過ぎなかったのだから。
 孤独に襲われ、毎日死ぬ程寂しかった。誰一人として頼る者もなく、いっ時として安らぐ場所もない。しかもそんな状態がこれから先も延々と続いてゆくのだ。まだ十五の自分には、苛酷過ぎる現実だった。幾らシャドウボクシングをしてみたところで、暑いだけで気持ちを鼓舞させることなど出来る筈もなかった。留萌に帰りたい。それしか望みはなかった。そしてそれが一番困難な希望でもあった。留萌港の埠頭でぼんやりと海を見ていたい。そして野良猫の頭を撫で……。いつも自分の瞼は、涙でいっぱいに滲んでいた。
 死ぬ程寂しいのなら、そうだ、いっそのこと死んでしまおう。いつしか自分は自殺願望を抱くに至った。いずれにしろこのまま生きていたって仕方がないのだから。見知らぬこの大都会東京は上野の片隅で、誰にも知られずあの世へ旅立とう。
 その為に自分は餓死しようと、食べるのを止めた。そして自分に相応しい死に場所を求め、彷徨い続けた。日に日に痩せていった。が、人間そう簡単に死ねるものでもなかった。なかなか餓死には至らない。ただガリガリに痩せ、その姿は丸でガイコツこと岩田潤一のようだった。それにまだ成長期でもあり、正直空腹を我慢するのはかなりきつかった。結局飢えを満たす為についつい食べ物に手を出し、餓死による自殺願望は呆気なく挫折した。死ぬことすら出来ない臆病者なのかと、自分を罵った。
 その内、幸子の財布の現金が少なくなって来た。しかし幸子が作ってくれた通帳には手を出したくなかった。仮に使いたくとも、怪しまれるのが恐くて銀行には入ってゆくことすら出来なかったけれど。しかしこのままでは金が尽きて、いずれ何も出来なくなってしまう。なんとかしなければと焦ったが、流石に盗みをはたらく訳にもいかない。何か仕事をして、自分で稼げないだろうか。でもこんな自分など雇ってくれるところはあるだろうか。悩んでいる間にも、確実に金は減っていった。そこで夏休みも終わって九月に入った或る晩、自分は決心して行動を起こした。なぜ夏休みが終わったと分かったかと言えば、昼間上野の街をうろつく学生や子どもたちの姿がなくなったから。
 上野界隈では夜間、道路工事が盛んに行われていた。その晩自分は野宿する風の丘公園そばでやっていた道路工事現場に行き、そこで働く男のひとりに思い切って話し掛けた。その時の自分の気持ちは、藁をも掴む思いだった。
「すいません。突然ですけど、俺もここで働かせてもらえませんか」
 すると男は、きょとんとした顔で自分を見返した。ちゃんと銭湯にも入り、服も洗濯していたけれど、野宿者であることを直ぐに見抜かれた気がした。それに歳も。しかし男は決して馬鹿にせず、丁寧に返事をしてくれた。
「わりいな、あんちゃん。生憎俺もここにいるみんなも、雇われの身だから。他人の面倒まで見てらんねんだよ」
「そうですか。じゃ、分かりました」
 自分は頷き、立ち去ろうとした。男はそんな自分を哀れに思ったか、最後にこう言った。
「そんなに働きたいなら、山谷に行きな」
 さんや。ああ、山谷かあ……。そうだ、山谷に行けば良かったんだ。暗闇の中に一筋の光が差し込んで来た気がして、自分は顔を上げた。
「ありがとうございます」
 大声で返事をしながら自分は男に頭を下げ、風の丘公園に戻った。山谷と言えば、あしたのジョーのドヤ街じゃねえか、まったく。しまった、すっかり忘れてた。だってここはもう、東京しかも上野なんだぜ。ばっかじゃねえの、俺。興奮し俄然元気になった自分は、久し振りにベンチで眠り、ぐっすりと熟睡した。

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