繊細と偏屈

デザインとアートの領域を行ったり来たりしています。 自身の身の回りに起こる、ちょっとし…

繊細と偏屈

デザインとアートの領域を行ったり来たりしています。 自身の身の回りに起こる、ちょっとした苦手なことを言語化する場所です。

最近の記事

このサイテーな世界の中でつくるってなんなのだろうか01

イクラを一粒一粒取り上げて、これはオスかメスか考える。 曇天を飛ぶ飛行機を見上げて、乗っている乗客の一人一人を想像する。 仕方のないことに思いを馳せてしまう性分なので、暇をつぶすことに時間を使いがちだ。しかし、そんな平穏こそが制作の栄養。僕はずっとそう思っている。 しかし、そうだった時期は短い。ずっと後ろをついてくる奴がいるからだ。 このサイテーな世界の親玉、SNSだ。 SNSに投げられた言葉の礫をまともに食らってしまうほど、情報とそれについてくる感情に弱い。向いていないこ

    • #05 サウナ

      昨今はサウナブームで、それこそ「趣味はサウナです。」という方と出会うことも増えた。「ととのった」という表現に侵された恍惚とした表情を見るたびに、サウナが苦手な僕は閉口する。 僕の家族は銭湯好きで、子供の頃は週末決まって街のスーパー銭湯に繰り出していたし、当然そこにはサウナがあった。父にいつも連れられて重い扉を開ける。有象無象にいる大人は皆、焼けた石を喉に入れたような顔をしている。狭く、暗く、とても暑い。換気扇の音と分厚い防水ガラスの中に閉じ込められたテレビでは、巨人戦が流れ

      • #04 友達と殺し合うゲーム

        物騒なタイトルでごめんなさい。 今回はゲームの話なので結構リンクを貼りつけています。 小学生の頃、ニンテンドー64で「007 ゴールデンアイ」が流行っていた。 映画が主題だし、多分ストーリーモードがあったのだが、それを差し置いて対戦モードでした遊んだ記憶しかない。 流行っていたとはいえ、正直このゲームがあまり好きではなかった。 銃を拾ってステージ内を散策し、他のプレーヤーを殺害して最後まで生き残った人の勝利というルールのもとに、ソフトを持っていない人から訳も分からないうちに

        • #03 虫に触れること

          タイトルの通り、僕は虫が触れない。 特にこれというものはなく、虫という存在がおおよそダメで、蚊はかろうじて捕まえることはできる、くらいの酷いものだ。 高校は農業科で野菜を専攻していたのだが、虫に触れなければできない仕事の方が多い。なんでその高校を選んだかと聞かれれば、家から近かったことと、当時千葉県には特色化選抜なるものがあったためである。部活や委員会など、何かしらで頑張っていれば面接だけで公立高校に入学できてしまう魔法のような入試システムだった。当時の僕は1歩先の未来すら

        このサイテーな世界の中でつくるってなんなのだろうか01

          #02 交通手段のあれこれ

          基本的に死を予感させる、というか死ぬ可能性が高まることは苦手なので避ける。 とはいえ生活のインフラとか必須行動において、そうは言っていられない。 そして死へのイメージを抜きにしても、全ての移動手段にそれなりのストレスがある。 先月くらいまで、大概の移動は電車を使っていた。生命を脅かすリスクとしては低いように思えて(慣れかもしれない)安心感があった。しかし、最近は物騒な事件も増え、感染リスクも無視できるものではなく、その定説も覆されようとしている。加えてある程度自身のテリトリ

          #02 交通手段のあれこれ

          #01 店内に文字の多いラーメン屋

          なんせ苦手なものが主題なもので、写真などは当然なく、テキストだけでお伝えすることをご了承いただきたい。 ひもねす食事にありつけない時は、大概その日の気分で散歩をしながら食べるものを探す。よほど気分が良いとか、仕事のキリがいいとか、そんなことがない限りだいたいは簡単なもので済ませてしまう。今回のラーメンもその機会で食すことが多い。 街には星の数のごとくラーメン屋が存在するので、歩いていて何となく行き当たったところに入るのだが、まず気にするのは店内の鬱陶しさである。人がいるい

          #01 店内に文字の多いラーメン屋

          繊細と偏屈

          「繊細な人ね。」と言われることが多い。 世の中に人より少し気にすることが多いフシがあることは、なんとなく気が付いている。苦手なものが多く、みんなが好きだというあれやこれやが楽しめないので輪に入れないことが多い。少し我慢して受け入れればいいものの、それをしない偏屈さもあるのでややこしい。 最近、奥さんとの会話で苦手なものには(自身の物差しで言う)それなりの理由があることがわかってきた。原体験が存在している。 人からすれば大袈裟と言われるその繊細な部分を、いかに言葉にして表