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#03 虫に触れること

タイトルの通り、僕は虫が触れない。
特にこれというものはなく、虫という存在がおおよそダメで、蚊はかろうじて捕まえることはできる、くらいの酷いものだ。

高校は農業科で野菜を専攻していたのだが、虫に触れなければできない仕事の方が多い。なんでその高校を選んだかと聞かれれば、家から近かったことと、当時千葉県には特色化選抜なるものがあったためである。部活や委員会など、何かしらで頑張っていれば面接だけで公立高校に入学できてしまう魔法のような入試システムだった。当時の僕は1歩先の未来すら考えていなかったので、勉強もしたくないし、部活がほどほどに弱くてレギュラーを取れそうな高校を探して選んだ。

話を戻すとそんな経緯があって入った農業高校では、選んだ野菜につきだいたい20畳くらいの畑を与えられて、毎日除草をしては生育日誌をつける毎日だった。
当然四季折々の虫とご対面することとなり、僕は先生の目を盗んではスコップで触らないように土に埋めるなどして隠していた。草の先端を持ち、鎌で器用に地面に触れぬように草を刈る。当時は今みたいに多様性とか個性だとかは強く言われていなかったので、虫が触れない者は非人扱いをされるような環境だったので、とにかく上手くやらねばならなかった。

普通は「慣れる」が先に来ると思うのだが、ひたすらに関わり合いを避けることを選んだ。3年もそんな調子だったのに、最後まで彼らを掴むことはなく卒業した。そこで気づいたことは、触ることはできないけど、見ることは比較的好きだということだった。

造形や色彩に関しては好きと認めるものもある。例えばハナカマキリとか、ハンミョウとかは好き。美術予備校の紙で立体を作る課題では、カマキリを作ったことがあるが、やはり触れないのでディテールがわからない。くにゃくにゃの張りのない、捕食できず餓死しそうなカマキリができた。でもそれくらいには好きだ。

じゃあ、なぜ触れないかという分析をすると、2つの原因に辿り着いた。
1つ目は「表情がない」ということ。
哺乳類は比較的表情豊かなものが多く、怒っている、甘えているなど、何となく分類として同族なだけに通じ合える気がする。虫は違う。通じ合えない。どこ見てるかわからないし、妙なスピードで口が動いているし、と列挙するだけで鳥肌が立つが、とにかく感情の感じられなさが怖い。威嚇はするけど、それは表情ではなく、行動だ。ずっと彼らは真顔なのだ。真顔で黄色い臭いツノを出したり、腕を上げて脇から赤いビロビロを見せながら、ずっと真顔なのだ。やっぱり怖い。
これに関しては魚も該当する(魚も触れない)

そして2つ目は「握ったら潰してしまいそうな脆さ」である。
どれもこれも、サイズが手のひらに収まるくらいだ。
もし万が一、少し興奮気味で捕まえてしまったら。少しでも手に力が入っていたら、彼らの命は潰えてしまう。そんなものを手に持ちたくない。
死を想像させるものはなるべく避ける傾向にある僕は、何かが死んでしまうことも簡単に想像してしまう。
道路で轢かれて潰れていたり、夏に干からびていたり。フロントガラスに激突してしまったりする彼らを見て、触りたいだの、ましてや飼いたいだのとは思わない。

とここまで書いていたら、いろんな原因となったであろうトラウマがフラッシュバックしてきた。

マザー牧場で蛾を指でちぎってしまったことや、両親がどこかで貰ってきたカブトムシの死に様とか、他にも。

いまだに強く、景色として、時には臭いとして記憶に残るそれらを、僕は多分ずっと忘れることはできないんだろう。そして何よりその記憶をあえて自分から更新するようなマネをしないで生きていきたいということに、この記事をまとめながら気づいてしまった。

今日は早く寝よう。

20231030

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