#04 友達と殺し合うゲーム
物騒なタイトルでごめんなさい。
今回はゲームの話なので結構リンクを貼りつけています。
小学生の頃、ニンテンドー64で「007 ゴールデンアイ」が流行っていた。
映画が主題だし、多分ストーリーモードがあったのだが、それを差し置いて対戦モードでした遊んだ記憶しかない。
流行っていたとはいえ、正直このゲームがあまり好きではなかった。
銃を拾ってステージ内を散策し、他のプレーヤーを殺害して最後まで生き残った人の勝利というルールのもとに、ソフトを持っていない人から訳も分からないうちに熟練者に殺されてしまう。負けるから嫌いなのではなく、殺し合い自体の野蛮さに当時の僕は嫌悪感があった。このゲームは死んでしまうとライフのストックはなく、ただ茫然と残りのプレーヤーの行く末を見守るだけだったので、友達が友達を次々と殺していく顔や仕草をただ眺めるしかなかった。
こういうところで無邪気な猟奇性を感じてしまうのが嫌で、ゲームに飽きて缶蹴りやサッカーをしている時まで、友達のその態度が思い起こされてしまって変な気持ちになっていた。
僕はゲーム内のアバターに対して銃を向けることさえ嫌だったので、勝った記憶はない。というか早く止めたかったので早々に退場していた記憶がある。
とにかく殺し合うゲームをしたくないので、当時僕は基本的にゲームをゲームと捉えられる範疇のものを好んで遊んでいた。たとえばスーパーマリオ64とか大乱闘、マリオカートやテニスなどである。あとパワプロなど。どっちかというと1人でやっている方が楽しいとさえ思った。「死ね」とか「はい死んだー」なんていう暴言も聞かなくて済むし、嫌な罰ゲームもないし。
一方でモンスターを倒していくとか、敵に強襲される中で生き延びるゲームなどはなんとも思わずにプレイしていた(※ホラー以外)。おそらく僕は、死を恐れる反面、生に対しては強い意志があるので、敵の顔が友達でない一人遊びであれば全然楽しめたのだと思う。
高校生以来ずっと間が空いて、「スプラトゥーン2」から再びゲームをするようになった。特に僕が気に入っているのは、対戦ゲームなのに殺し合わないところだ。
基本的に銃型のブキ(カナ言いはスプラトゥーンに準じて)からは弾丸ではなくインクが出る。それでステージを塗れば良いのだ。むしろ塗ることを推奨している。相手と対峙してしまってもインクをぶつけて自分の色で浸すとスタート地点に戻される仕様だ。要は死なないのである。血飛沫もない。死体もない。
このゲームの素晴らしさは、プレーヤー同士の戦いの結末を死や暴力性から解放したことにこそあるのだと思う。更に言うとインターネットでの対戦なので、相手の顔が見えない事も良い。チャットなど余計なコミュニケーションもない。同じチームのどこかの誰かと、ただただ相手よりステージを塗るだけ。
スプラトゥーンはこういう繊細で偏屈な人間にとってエポックメイキングと言えるかもしれない。3が登場して以降も、精神的に抑圧された10代を取り戻すようにプレイしている。
一方で僕の周りで圧倒的マジョリティーであるAPEXは、友人に勧められてやってみたものの、やはり殺される/殺すことを意識してしまって1日も経たずに退散しました。特にキャラクターが人型であることで、勝手に人格形成して情が湧いてしまう。そして銃口をしっかり相手に向けるのは合わないし楽しくなかった。
戦いの最中から終えた後しばらく、動悸がおさまらない繊細さよ。
兎にも角にも、ゲームでこんな調子なのだ。でも、これでいいと思う。
そして本当に、本当の撃つ日が来ないことを心の芯から願っている。
20231103
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