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なぜ、お鮨の学校を始めようと思ったのか。

鮨職人の可能性について伝えたい。
どうも、鮨職人の青島です。

なぜお鮨の学校を開こうと思ったのか
それを語る上で、鮨職人青島の経歴と
修行の問題点について知って欲しいです。

ぜひ、最後まで見てください。

鮨職人青島について

修行中の写真

1996年、静岡県生まれ。学生時代は野球部、
基本的に体育会系で育ち、高校卒業後は
消防士となる。

3年9ヶ月勤めたが、夢を諦めきれずに
転職し鮨職人となる。
別に料理が得意だったわけではない。
畑違いの職業についた。
憧れの職業だったのだ。

転職して鮨職人 

消防士を辞めて、すぐに地元の高級な鮨店で働き始める。
そこでは、雑用のようなことしかできず
一生お鮨が握るチャンスがないと分かってしまった。

それは、短期間で鮨職人として修行
開業を目標としていた私の方針と違った。

そして、考え方を大きく変え、お鮨の学校に入ることに決めた。

お鮨の学校に入学

お鮨の学校は鮨職人としての基礎を3ヶ月で技術を学ぶところだ。
入学金130万その他、もろもろで3ヶ月のために200万使った。
お金で修行時間を短縮した。
転職したからこそ、悠長なことを
言ってられなかったのだ。

しかし、思っていた学校と違い、
かなりのスパルタで
本物の鮨職人さんが教えてくれた。
入学当初は、20人いたが気づけば、
皆さん辞めてしまい
卒業できたのは8人だった。
入学金を払っても辞めたくなるのだ。

しかし、ここの卒業生は
基礎だけはできている状態なので
教える手間が省ける。
だからこそ色々な飲食店さんから声がかかった。

大阪のミシュラン掲載店で働き始める

私はミシュラン掲載店のお鮨屋で
働くことになる。

ここのお店の面白いポイントは
大将が経営者。
鮨職人を育てたいという
観点から若手をつけ場【お鮨を握る】場所に
立たせてくれることだ。
大将に鮨コースを握り
いけると判断されたらすぐにでも
お客様にお鮨を握れる。
私は入社して2週間でお鮨を
握ることが許された。

カウンター7席。
手元は全て見える
いわゆる、吹き抜け式というものだ。

静岡から出てきた若者が
大阪のお客様にお鮨を握り始めたのだ。
文化もノリも違い、それは
厳しい戦いだった。

ここでは現場力を学んだ。
料理は美味しいことは当たり前で
お店の内装・立地・大将の雰囲気
接客の大切さ・聞く力・所作
減価率の計算など

言い出せばキリがない。
分かったことは
『お客様に感動してもらえることが大切で
料理はそのための一つの
武器でしかないことだった』

ここで僕は料理以外の現場の力を
学んだのだ。

ここのお店は本当に辛くて
初めの頃は、物覚えが悪く
劣等生だったからこそ
辛い言葉を何度も言われた。
今でもたまにフラッシュバック
していまうくらいだ。


料理はお店で1番できない。しかし、売り上げは1番


しかし、面白いことが起きたのだ。

料理は1番できないのに
売り上げはお店で1番。

働いていたお店はお鮨を握れる子が
たくさんいるお店で
時間ごとに握る人が変わる仕組みだった。
なんと、青島くんに握ってほしいと
指名がたくさん入ったのだ。

この時、気づいた。
本当に大切なのは人間力だと。

そして、料理は不器用でも
やっていれば上達する。

そこには成長が早いか
遅いかぐらいの差しかないのだ。

そして、仕込みに関しては
1年で余裕を持って覚えることができた。
そして、自信がつき独立することにした。

お店を辞めた時に
色々な人からお声がかかった。
東京・神奈川・大阪で
店長として鮨屋をやってほしい
というものだった。

どこで開業したいのか

しかし、その時に思ったのだ。

どこで成功したら幸せなんだろう』

お声がかかったお店は条件が良く
給料も良かった。

しかし、地元静岡で鮨屋をやることに決めた。
静岡には親しい友人、家族もいるし
この食材で恵まれた土地で商売することが
故郷への恩返しだと思ったのだ。

半年間の準備期間を経て
24歳で『蒼の鮨』を開業。

開業からずっと黒字

口コミでお客様が繋がり
固定のお客さんもついてきました。

【活動内容はインスタから】

https://www.instagram.com/aonosushi

鮨職人の魅力を伝えたい

27歳の今、僕は鮨職人としての
素晴らしさを伝えたいと思った。

消防士から転職しやりたい仕事に
ついた僕は幸せだ。
そして、周りにも伝えたい。

しかし、ここまで辿り着くために
色々な屍を乗り越えた。

僕には、苦しくて辞めていった
同僚やうつ病になった後輩を
救うことができなかったのだ。

希望を持って鮨職人になったのに
過酷な労働時間と精神的な攻撃で
立ち上がれなくなってしまったのだ。

飲食は上に立つ人間が人格者なら
こんなことは起きない。

例え大将が素晴らしい人でも
その下につくお弟子さんの
性格が悪ければ潰されてしまう。

しかし、今はあの頃と違う。

私は、自信もついたし
何よりお客様が美味しいと言ってくれている。
お店の客単価は20000円
そんな人たちの言葉は特に自信になる。

だからこそ、鮨に興味ある人や
飲食をやりたい人など
一歩踏みだせない人の背中を推したい。

この業界に入ればわかりますが
鮨は飲食の中でもトップクラスに成果が出るし
人の下につきたくない人にはおすすめだ。

転職にぜひ、勧めたい職業であるし
すでに飲食経験者は技術があるので
すぐにでも実践してもらいたい。
お店を経営しているなら
売れ筋商品として使ってほしい

鮨の修行はいい面もあるが問題もたくさんある。

職場の人間関係で潰されることも多いし
純粋に技術を学びたいと思っても
雑用などが多く
成果が出るまで時間がかかってしまう。
そして、労働時間が12時間を超えるのは当たり前。
毎日を過ごすことだけで精一杯になってしまう。

修行の1番の問題点

それは、鮨職人として向いているのか
開業しないとわからないことだ。

人と喋るのが苦手、接客が得意でなければ
鮨職人には向いてないし
この仕事が楽しくないと思ったらおしまいです。

下積みで10年以上積んでしまってから
いざ開業して自分の得意な仕事じゃなかったらどうしますか?

雇われと自分でお店を経営する能力は
全く違います。
ただ、美味しい料理を提供できれば
お客さんが来てくれるなんて
甘い世界ではありません。
そこを、知らない料理人が多いからこそ
大きなチャンスがあります。
実は、総合力での戦いなんです。

10年修行しても開業して成功する確率なんて3割程度
鮨以外も大事と考え、色々勉強すればその
確率は上がっていきます。

修行が長くして、、もし辞めたくなった時に、、、
皆さん、どうなると思いますか?
転職できる仕事は、給料も低いでしょう。
飲食以外ならまた一からのスタート。
生きることが大変になります。

【ゴールはお客さまを満足させること

そのためには

・大将の雰囲気
【喋るのが上手・聞き上手・なんとなく安心できるなど)
・お店の内装・立地
・接客の技術
・SNS運用・広告
・ホームページなど自分で作る
・お金の管理
・料理の美味しさ
など、、、、

あげたらキリがありません。
これが多くできるとお客様が結果的に満足してくれます。

だからこそ、チャンスなんです。

転職なら尚更で、人間力などすでに備わっていれば
大きく有利になります。

お鮨の学校について


料理の技術に関しては
私の動画を見て何回も復習してほしい、

修行時代に『目で見て盗め』と言われました。

しかし、この考えは反対です。

だいぶ、このやり方のせいで遠回りをしました。

皆さんにはそうはなってほしくないし。
怒られたり、プレッシャーがある中での
練習は、その場を凌いで怒られなければいいという
思考になってしまい、上達しません。

だからこそ、何回も復習できるように動画を作り
ミシュランのレシピから開業、SNS運用まで伝えられる
そんなオンラインサロンを作ります。

仲間がいるのは励みになりますし
同じ悩みをぜひ、共有していただきたいです。

お鮨の学校3ヶ月に約200万以上
修行時間は1000時間以上
動画編集・カメラの撮影方法・SNS運用の勉強など自己投資 100万以上
開業してからの2年分の知識
ミシュラン・蒼の鮨のレシピ

もちろん、無料の講座ではないですし
やる気ある人だけを集めて
私の全てを伝える気持ちでやらせていただきます。

この内容で高いと思うかはその人次第。

ぜひ、皆さん一緒に頑張りましょう。

最後までご視聴ありがとうございました。
















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