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新しい経済

物に対する需要と供給で人がつながり、そのアンバランスがカネというもので図られ、その個人収支が格差という形で現れる。もちろん、需給の繋がりは、直接、個人対個人ではなく、主に企業という間接システムを通していることは言うまでもない。実は、その間接システムが需要と供給の「純粋性」を濁らしていると見ることもできる。
企業が挟まった需要と供給バランスは、個人間での「本来の(原始時代の物々交換のイメージ)」需要と供給をもう1次元複雑化する。その次元では、需給の最適な結果がわからない、むしろ、需要を欲望を掘り出して創出しようという意図的な戦略が取られる。市場での純粋な需要と供給の出会いなどではない。そこでの決断は、資本の使用の決断というわけであるが、(ここで資本主義が登場する)その決断は人為であり、相違でない以上権力となる。

まとめ直そう。
需給、市場はスッキリした合理的必然解がもたらすものではなく、権力による恣意的決断が混ざっているわけである。さらに、その外側に政治があり、大きな権力があり、ルール自体を変えて行く。
 
さて、とすれば、カネという指標を基軸にした需給で人々が動くのでなく、イイネ!の需要 供給で経済が動く世界というのも考えられるかもしれない。評価、賞賛を数量化できれば、そして、全く別次元で生存が保証されていれば、(ベーシックインカム?)イイネ!の需要供給で人々は活動を始める。正確に言えば、資源の回遊と消費の形やルールが自己肯定感への寄与をもとに形成されてゆくというわけだ。

幸せのために社会が回るという仕組みに少し近づくのかもしれない。

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