見出し画像

誰かの「熱が冷める」瞬間について(日記)

他人の「熱が冷める」瞬間を見ていると、とてもモヤモヤしてしまう。
ややわかりにくいかもしれないが、あんなに好きだった恋人が急に嫌いになったとか、好きだった推しにある時から1ミリも興味が湧かなくなってしまったとか。
そうなる理由も多種多様だ。
環境の変化だったり、何かの出来事がトリガーになって急に冷めてしまったり、それまでの積りに積もった不満がキャパシティを超え溢れ切って大爆発したり。
それまで好きだったものへの違和感に気づき、それからじわじわと信頼が崩れ、情熱がスッと冷めていくさまを自覚していく他人を見かけてしまうと、私はなんとも言えないような、心の晴れないモヤモヤした気持ちを抱えてしまい、ひりひりと傷ついてしまう。
私も大好きなものに対して、モヤモヤしたり、自分と合わないなって思う事も多々ある。
人間皆同じ考えというわけではないから、当然のことだ。
方針が合わなかったり、自分は求められていないと思って、大好きなものから距離をとったことはあるので、辛い気持ちもわかる。

でも、自分には関係ない事なのに、なぜかモヤモヤが募るのはなんでだろう。
熱が冷めていく他人も、その人が熱を上げていた人や物も、自分から見れば他人だし、自分自身ではどうにもならないもの。勝手にすればいいのにと思うのになんで傷ついてしまうんだと悩んでいる。

「変わり続ける君を変わらずに見ていたい」という言葉が、私の好きなバンドのとある曲の歌詞にある。何かを好きでいると、たまにそういう心地になることがあるし、初めて聞いたときからずっと頭に残っている。
変化というのは、良くも悪くも影響する。大好きなものや人を長く大好きでいるためには、その変化に伴って徐々に感じて、溜まって違和感や認識のズレを、受け入れられるかどうか……で決まるものだと思ってきた。
ズレがだんだんと大きくなっていることに気づいて目が覚めるように違和感を感じてそのまま嫌いになってしまうことが悲しいことは、私もわかっている。
もしかしたら、自分のことのように悲しくなるのかもしれない。

……まあ、ここまでうだうだ書いたけど、他人が冷めていても「はぁ〜そっすか!まあ私はそこまで気にならないし、好きのままでいますが……」ってメンタリティでいると楽なのかもしれない。
そうなりたいけど、私はまだ、そうする術を知らない。
知りたくて今日もネットで意見を探し、また傷を増やしてしまう。

前も書いたけど、他人の意見が見えすぎてしまうこんな世の中に自分が慣れていかないといけないのかもしれない。

(気持ちの整理日記なので後で消えるかもしれません)


いいなと思ったら応援しよう!