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メビウスの輪が教えてくれること…自分探しは無駄

内側を辿っていったら…それは外側だったというのは、メビウスの輪のことである。

他人は自己の鏡という言葉があるように、他人は存在せず、”ただ自分”、というのが複数が存在するだけ。

自分という存在は、意識・言語・皮膚を通して世界へ無限遠に続いている。

自分、という存在。理想の自分という存在が、どこかに存在するのではないかという幻想。

ここではない、どこかに理想の自分が存在するのではないか。見つけられるのではないかという幻想。

しかし、自分探しはそもそも不可能である。

どこまで行っても自分からは逃れられず、より自分と向き合うことを強制されるだけだ。

サルトルの実存主義が教えてくれることでもある。「実存は本質に先立つ」。

自分という存在はある。その中身は空っぽで、あとから本質…つまり自分はどうあるべきか、というのを定義する。

自分探しはできない、自分がどうあるべきか、ありたいかという形、本質を作ることなのだ。


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