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未来人、スマホの中に自分のAIを飼う

将来は、スマートフォンの中に、それぞれ自分だけに特化できる人工知能が搭載され、日々のスマホの使い方で学習され、自分にそっくり、自分のことを一番よく知るAIがスマートフォンの中で育つであろう。 すでに、僕らのスマホの中にはその卵がある。まだ名はない。

    • 「まだ間に合う!今から健康診断対策」に会社不正の危うさを見る

      結論から言えば、この会社は不正から立ち直れない。ある日、社内の電光掲示板に表題の通りのスライドショーが表示されていた。健康保険組合か、安全労働衛生グループが作成したものであろう。 健康診断とは、端的に言えば会社から見れば従業員を疾病から遠ざけ、健康保険料の支払いを削減し、働いてもらうためにある。特に夜勤がある会社にとって、従業員の健康は、人材・財政面の両面で重要な意味を持つ。不健康な従業員は、やがてその病気を治療するために会社の健康保険料が使われ、入院や通院などで現場にも穴

      • みんな有名になりたい

        Everybody wants be famous. 自分探しを本気でやった人はわかる。 哲学を学んだ人も気づく。 自分という存在は、存在しない。 自分は何者であるのか定義できないと。 これに気づいたうえで、世の中を見渡してみる。 SNSや動画投稿サイトなどで脚光を浴びる人たちがいる。 その取り巻きで恨んだり、妬んだりする人たちがいる。 その人を目指そうとする人たちもいる。 「有名無実」という言葉が気づかせてくれるように、名前がついていても、中身がないということがあ

        • 同性愛者はいない。

          ただ、同性愛行為があっただけ…という指摘をしておきたい。 LGBTQ+という言葉が世に浸透して久しい。 SNSが発達し、文明がより高度化し、人類の知性も向上した。 これによって、以前はマイノリティとされていた、男女以外の性という考え方が、広く理解され始めている。 その、広く理解され始めている一端として見えるのが、このLGBTQ+という言葉である。 LGBTQ+に該当する人々も、この言葉を使い、そうでない人々もこの言葉を知っているし使う。 しかし、この言葉の誕生を考えてみ

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          知識とは

          博識な人、知識が豊富な人…というように、いろいろな事象について一般人が知る以上のことを知っている人がいる。 しかし、実際のところ知識というのは、専門的な分野だけでなく、一見して関係がなさそうな分野と組み合わせて…これは経験と言い換えられるかもしれない、そしてそれを目の前の課題や想定されうる問題に、臨機応変に対応できることで、はじめて「知識」とされる。 何かについて詳しく知っていることだけが、知識ではないのだ。 簡単に言えば、あらゆる状況において、さまざまな経験をもとに的

          正義は存在しない

          このように難しく説明をしなくても、身近に「正義は存在しない」という事例を見つけることができる。 例えば、戦争。 戦争は、争っている国ごとの「正義」がぶつかりあっている事象だ。 そもそも、人間は個々において、それぞれの置かれた立場が異なり、また育ち方も異なり、経験している内容も違う。それゆえに、同じ現実を見ていても、解釈が存在する人間の数だけある。 ある人は正義といったことも、またある人にとっては不正であり、不正と解釈している人がいて、それを正義だと解釈する人もまたいる

          正義は存在しない

          実存は、本質に先立つ

          実存主義を唱えた、ジャン・ポール・サルトルの言葉である。 まず、存在というのがあって、何であるかを決める本質が後に続くことを言っている。 例として、車の本質は、走る・曲がる・止まるの3つで、これは車が存在しないとこれらの本質は現前しない。 走って、曲がって、止まる…を満たす本質のもの…という思考からスタートしても、車は出てこないのだ。 いま、車とは何か?を知っている我々が、この本質から実存を考えるのは極めて難しい。 ~ペーパーナイフとは異なる人間の存在~ サルトルの

          実存は、本質に先立つ

          時代の定義~時代のせいにすることは、自分のせい~

          複数の人が集まることで、複数の…それぞれ固有だったり似たようなの観念が集合する。 これらの観念が混合し、競争し、その中で最も支配的な…最大公約数のような観念が残る、もしくはそうなるように最終的な答えのような観念が生成される。 これがいわば「時代」である。 つまり、時代とは私たち一人ひとりが作り上げているのだ。

          時代の定義~時代のせいにすることは、自分のせい~

          決定不可能なものを通過しない決定は、自由ではない

          話し合いにしても、自己の決断にしても、決定不可能なものを通過していない決定事項というのは、自由ではない。 決定不可能なものを通過…つまり選択肢の中で不可能とされるものを検討し、採択しようとする前向きな姿勢が存在しうるからこそ、自由は存在する。 「正しい決定とは?」~計算する機械になるな~ 「正しい決定」とは、客観的な基準に基づいたものでありながら、同時に個々の状況に合わせた柔軟な判断を伴うものであると言える。 決定に至るプロセスにおいては、何らかの規則や基準が不可欠で

          決定不可能なものを通過しない決定は、自由ではない

          メビウスの輪が教えてくれること…自分探しは無駄

          内側を辿っていったら…それは外側だったというのは、メビウスの輪のことである。 他人は自己の鏡という言葉があるように、他人は存在せず、”ただ自分”、というのが複数が存在するだけ。 自分という存在は、意識・言語・皮膚を通して世界へ無限遠に続いている。 自分、という存在。理想の自分という存在が、どこかに存在するのではないかという幻想。 ここではない、どこかに理想の自分が存在するのではないか。見つけられるのではないかという幻想。 しかし、自分探しはそもそも不可能である。

          メビウスの輪が教えてくれること…自分探しは無駄

          なんでも投資、の世の中がこわい

          世の中を見渡せば、なんでも投資である。 月々、いくらいくらを投資に回しましょうとか、積み立てNISAで将来に備えましょう、とか、余ったポイントはポイント投資に回しましょう…など、さながら投資ブームである。 多くの人が、金融について興味を持ち、リテラシーを高めていくことはいいことだ。 日本は、金融リテラシーが低いというのが通説で、諸外国と比較してお金の知識が乏しいので将来への備えも十分ではないという指摘がある。 実際に、一昔前にFIREというのが流行った。老後を過ごすのに

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          ジョンサールの「中国語の部屋」、自動車の部屋。

          ジョンサールの思考実験で、中国語が書かれた紙をポストに投函し、中の人は中国語話者ではないが、マニュアルがあり、書かれている中国語に対応した中国語の文章が用意されており、中の人はそれに従って文章を選択し、書き写して、ポストを介して外の世界へ戻す。 この時、部屋の外にいる人から見ると、部屋の中にいる人は中国語が理解できているように感じられる。しかし、実際は部屋の中にいるとは中国語を理解しないままに、マニュアルに従って作業をしているのに過ぎない。 この思考実験を工場に当てはめて

          ジョンサールの「中国語の部屋」、自動車の部屋。

          車、バイクの趣味と交通哲学

          どこまでも哲学の上を走り回っているに過ぎない。 どの国においても、赤信号は止まれ、青信号は進むことが可能、各種標識の持つ意味…というように、色と言語と意味が対応している構造を見ることができる。 さらに言えば、道路における左側通行・右側通行や歩行者は交通社会における弱者の位置づけである…など、信号の色や標識といった記号以外でも、無形の共通認識が見て取れる。 これらの認識は、人間の発達段階で早い時期から、学校で教わるような明示的な教育に始まり、家族や友人といったコミュニティの

          車、バイクの趣味と交通哲学

          アートが破壊されない、本が焚書されない国

          極めて知性の発達した社会基盤上では、その上で展開されるアートや書籍といったものは生み出す過程においても侵害されず、完成品として世に出た後にでも破壊されない。 国民に、精神的・物質的な充足があって、高度な知性が機能しているとき…内省、規範…に達成される。 アートや書籍といったものは、見方を変えればそれ自体が資材であり、資源である。銅、アルミ、ステンレス、プラスチック…といったもので、書籍は紙である。 極端に言えば、本は燃やすことで火の種にすることができるし、火をもって灯り

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          生産現場におけるKAIZEN活動は、資本家と労働者間における搾取の構造

          カールマルクスによれば、労働者が生み出した余剰…時間、価値──もっと現場に即して言うなら、作業者が生み出した手待ち時間…は、資本家によって搾取される構造となっている。 生産現場における作業者は、はじめこそ習熟度が不足しているため、規定された作業時間をオーバーするか、または上限いっぱいに消費されるが、同じ作業を行っていくと習熟度が向上し、規定された時間内またはそれよりも早く作業を終えられるようになる。 これは人間に備わっている適応能力のなせるところだが、工場はこの人間特性を

          生産現場におけるKAIZEN活動は、資本家と労働者間における搾取の構造

          職場に配属された大卒実習生の話

          アダム・スミスの「国富論」によれば、分業によって生産活動は飛躍的に向上する。 現実に、自動車産業をはじめとする工業は、分業によって発展した。 彼の配属された職場を見渡せば、まさにアダム・スミスの提唱した哲学が隅々まで行き渡っている。 彼がそこで注目しているのは、「作業と仕事の違い」。 有名な自動車メーカーにも、「動いているけど、働いていない」という言葉があるが、これに近いものがある。 作業はあくまで、受動的なもので…標準作業に従って、ただただ組み立てていくという感じで、

          職場に配属された大卒実習生の話