三井生命のVitalityスマートは健康の商業化である
私たちの身体と心は資本主義によって管理される時代に
現代社会では、健康は個人の自己管理の領域を超え、商業的な商品として扱われている。アプリ、ウェアラブルデバイス、健康食品、フィットネスジムなど、これらのサービスや製品は便利で魅力的に映る一方、その裏には多くの問題と矛盾が存在する。本記事では、健康の商業化がもたらす影響について批判的に考察する。
健康の商業化が生まれる背景
健康が商業化される背景は明確だ。現代人の生活は便利さと効率性を追求しすぎた結果、運動不足や不健康な食生活が常態化している。この状況が個人の健康管理を重要視させる一方で、それを市場の対象として商品化する流れを生み出した。また、テクノロジーの進化により、個人の健康データが収集・分析され、それを基に新たな商業サービスが次々と展開されている。
健康の商業化は深刻な問題を引き起こしている。商業的な健康サービスは、すべての人に手の届くものではなく、高額なフィットネスプログラムやウェアラブルデバイス、特別な健康食品を購入できるのは主に経済的な余裕のある層だ。これによって、経済的に恵まれない人々が健康リスクを抱える可能性が高まっている。
さらに、外部の商業サービスに依存することで、個人の自律的な健康管理意識が低下している。運動をする理由が「ポイントを貯めるため」や「クーポンを得るため」となり、それがなくなると運動そのものをやめてしまうケースも増えている。
企業はしばしば、健康への不安を煽る形で商品やサービスを宣伝している。「これを使わないと病気になる」「これを食べれば長生きできる」といった科学的根拠が薄いメッセージによって、不安に駆られた消費者が必要以上に商品を購入する状況が常態化している。
さらに、ウェアラブルデバイスや健康アプリが個人の健康データを大量に収集している。このデータがどのように利用されるのか、消費者には完全にコントロールできない状況が多く、健康データが商業的に利用されることでプライバシーが侵害されるリスクが高まっている。
健康の商業化がもたらす本質的な問題
健康の商業化は、「健康」という本来、個人が主体的に管理すべきものを外部のサービスや商品に依存させる仕組みを作り出している。これによって、人々は健康を維持すること自体を楽しむのではなく、インセンティブや外的要因に動機づけられる傾向が強まっている。
さらに、健康が市場価値を持つことで、それが資本主義の論理に取り込まれている。この結果、健康が「商品化」されることで、人間の身体や心が他者によって管理される状況が生まれている。
自由意志による健康を取り戻すために
私たちが健康を商業化から取り戻すためには、主体性を持つことが重要だ。自分の健康を管理する上で、外部サービスや商品に依存しすぎず、運動を楽しむことや自然な食品を選ぶことが求められる。健康に関する情報を鵜呑みにせず、科学的根拠に基づいた正確な知識を得る努力も必要だ。不安を煽る広告に惑わされず、冷静な視点で判断することが求められる。
健康を維持すること自体が喜びや楽しみになるような方法を見つけるべきだ。例えば、散歩や趣味のスポーツなど、自分が自然と続けられる活動を取り入れることが大切だ。
健康の商業化は、現代社会における便利さと効率性の追求がもたらした一つの帰結だ。しかし、私たちの身体と心の健康を他者に依存して管理されることが本当に望ましいのか疑問が残る。
健康は本来、個々人が自分の内発的動機に基づいて維持・改善していくものだ。そのためには、自らの主体性を取り戻し、健康に関する情報を冷静に吟味し、楽しみながら持続可能な方法を見つける必要がある。
健康を商品化する社会に流されるのではなく、自分自身の力で健康的な生活を築いていくべきだ。それこそが、健康を守るための最善の方法である。