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職場に配属された大卒実習生の話

アダム・スミスの「国富論」によれば、分業によって生産活動は飛躍的に向上する。
現実に、自動車産業をはじめとする工業は、分業によって発展した。
彼の配属された職場を見渡せば、まさにアダム・スミスの提唱した哲学が隅々まで行き渡っている。

彼がそこで注目しているのは、「作業と仕事の違い」。

有名な自動車メーカーにも、「動いているけど、働いていない」という言葉があるが、これに近いものがある。

作業はあくまで、受動的なもので…標準作業に従って、ただただ組み立てていくという感じで、もはやロボットと変わらない。
退屈な作業を楽しくするには、自分なりに意味を与えて作業から仕事に昇華する必要があるのだ。

ここで、アダム・スミスは言う。

「モノづくりに喜びを見出すはずが、分業によって生産性は向上したが、しかしほかの工程が見えなくなり、知られなくなるのでモノづくりとしての喜びは薄れ、失われる」

さらに、マルクス主義による「労働者の生み出した余剰が、資本家に搾取される」という話も出てきて、彼の頭脳は明晰である。

一見して、哲学とは関係がなさそうな生産現場にも、ちゃんと哲学が横たわっているのだ。

これが実は、日本の生産現場で当たり前とされている「KAIZEN活動」(改善活動)が、結局のところ、同一賃金、同一の時間内における生産力を向上させる──つまり資本家からすれば、生み出す利益を増やすことになり、しかし労働者は作業慣れによる時間的な余剰が、そのまま自身のためには使えずに、さらに仕事を増やされて働かされる構造である…という話ではないか?

このような話になり、おそらく大株主、スポンサーで牛耳られているメディアでは言えない話題が展開した。

ある日のドライブ中でのこと。
彼は「地方創生をしたい」と言った。
地方創生と聞いて、僕は田畑を耕したり田植えをイメージしていたが、彼のそれは全く違っていた。

聞けば、モビリティによって都心部と地方の物理的な距離からくる教育機会の格差を何とかしたいとのことだ。

しかし、5Gの時代に予備校もオンラインで受けられるが、彼はここで持論を展開する。

「やはり、対面によるやり取りが一番いい」と。

有名どころのオンライン予備校よりも、生の声で講習を受けられる現実の予備校が良いとのことだ。

やはり有名大学を出ただけのことはある。

同じ講習を受けられるのであれば、オンラインで実現できるのなら合理的だ。
しかし、彼に言わせれば実際にその場で教育を受けられたほうがいいというのだ。

そのためには、地方に住む人でも、都心部にある有力な予備校へのアクセス手段が必要だ。
予備校だけではない、海外にも目を向けると、日本以上に物理的な距離からくる教育の制約が想像されるのは容易だ。
特に、発展途上国。

これをモビリティで解決する。
彼は、このモビリティの会社に勤めることで、会社のブランド力、資金力を利用しながら、自分が思い描くモビリティを介した地方創生を考えているのだ。

彼自身は、教育の機会に恵まれて現在に至るわけだが、同時に、教育の恩恵に恵まれなかった…地方に住んでいることで予備校に行きたくても行けない人の存在にも目を向けている。

「人は、自分のルーツに関することは努力できる」というような言葉が印象的だった。

つまるところ、彼にとってのルーツは教育であった、ということか。

今日は彼にとって、実習最終日だ。
彼とは、きっとまた会えると思う。

思うからこそ、あえてさよならは言わなかった。

リゾームという概念があるが、まさに人間関係に限らずあらゆる出来事はつながっており、そして切断されている。
いまは繋がっていなくとも、つながっていたものが切れたとしても、またつながるのだ。
六次の隔たり、という言葉もある通り、あらゆる人間関係は6人を経ればあまねくことになるのだ。

だから、あえてさよならを言う必要がなかった。

見よ、彼の周りには昨日とそれ以前からの、日常の地続きで、怠惰で、惰性な作業者たちがいる。
ここに強い意志を持った彼の対比が、雇用契約の違いと仕事の意欲がより鮮明に浮き上がったのだ。

彼が僕に話をしてくれた数々の言葉を、作業者に聞かせてやりたい。

彼の言動に感動してしまい、久々の感覚だったので思わず、noteに書いた次第である。

できるだけ忠実に執筆したつもりだが、しかしこれも哲学の世界では、書かれたもの…エクリチュールであり、これらは書き手と読み手において時間的な差異が生じるがゆえに、パロールほど正確には伝わらず、さらに我々は哲学者ドゥルーズに言わせれば「プロセスは常に途中」であって、まさに変化しているから、もしかしたら彼は存在しなかったのかもしれない。

しかし…I think therefore I am.…これについて考えを巡らせている僕自身は、間違いなく存在するのだ。

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