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うまい朝

淡々 
淡々

朝が近づいている
小さな家の 小さな部屋で 
小さなウミカワが目を覚まそうとしている

遮光カーテンの隙間から ブルーグレーの陽の光がこぼれている
ウミカワはまだ まどろみの中にいる
けれどもう すぐそこに 
ウミカワを揺るがす ある刹那がせまっていることを 承知している
身を固くする
一日を始められるのだろうか

うすぼんやりとした でも間違いなくそこにいる
形はさだかでなく また重さも変化する
「不安」 と呼ぶにはあまりに生き物じみた
それをウミカワは モゲ と呼んでいた

毎朝ウミカワは 一番無防備な時に 避けようもなく モゲと対峙する
論理は遠く 情動ばかり近い
それも 快・不快しかない赤子のごとく


ここで失敗すると なにもかにもが どうでもよくなってしまう
踏みとどまらなければ
さもなくば 生きる気力はしぼみ 
世界はただ 布団のみになる
見つめすぎてはいけない

ウミカワの日々にモゲがやってきたのは いつからか
わからない
どこから なんのためにやってきたのかも知れず
知ろうとすればするほど いつしか迷いの森に立ち尽くすことになる
モゲ
最近は モランに似ている

時に遠く 時に呑まれるほど近く 常にモゲは ウミカワのそばにいる

今日

ウミカワとモゲの間には 薄くもベールがかかり
モゲはそこを越えてはこなかった

しん 

その音を確かめ
ウミカワは もぞもぞと寝床から這い出した

あぁ! うまくいったようだ 
なぜ
いったいなにが
それらは わからずとも
うまくいったようだ

階段を そっと下りる

冷蔵庫から コーヒー豆の袋を取り出す
チャックを開け 鼻を近づける
ぼんやりとした身体に とても好もしいなにかが訪れる
ウミカワは あるかなしかだった自分の輪郭が 
ふんわりとなぞられていくのを感じる

ケトルを火にかける 
豆を入れたミルの取手をまわす

ガリゴリガリゴリ
ガリゴリガリゴリ

音が耳に響く 
粉をフィルターにセットする 
映画のワンシーンがよみがえり
そっとまんなかをくぼませる
人差し指に柔らかな感触
湯をひとまわし
立ち上る湯気 香りがせまる 蒸らす 

一呼吸

湯をらせんに注いでゆく コーヒーが滴る サーバーが曇る 豆が膨らむ 支える手が温む 香りに包まれる
なにかが 
なにか確かなものが 滑り出していくのを感じる
ウミカワの輪郭が くっきりと浮き上がってくる

やがてそれらは 一杯のコーヒーに結実し

ズズッ
ゴクリ

ウミカワは 身体に内部があったことを 思い出す

そうして
ウミカワは 今日を生きようとする

うまい朝

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