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ラーメン屋台

「いややったら食べなはれ。ひもじい寒いもう死にたい不幸はこの順番に来ますのや。」の言は、『じゃりんこチエ』から。

衣食住足る上での悩みは、私の場合は、食べて風呂に入って冷める前に布団に入り目を瞑れば済むが、衝動に駆られて夜の酒場へ出掛けていってしまうのは、有り余る体力があるから…。

酒を飲み、炭水化物をとりたくなり、最終的には屋台の豚骨ラーメン、始発を待ちながら24時間営業の喫茶店、又は無意味に川沿いを歩き、些末な悩みを思い出しては、センチメンタルになり、朝、帰宅する。働いてはお金を使いまた働き…、若い頃は、とにかく全てが、早く寝れば、の一言であった。

無為な日々だと薄々感じ、「このまま死ぬのはあんまりだ」と思いながら、「あんまり」にならない為には何をしたら良いかもよく分からなかったのである。

つるりとした皮膚を纏って、喜怒哀楽、朝になったり夜になったりの繰り返し。一体あれは何だったのだろう。

若くていいわね、とあの頃の私に言ってくれていた、酒場のお姉さん方の振る舞いは、若者に対しての大人の礼儀だったのだと今になり分かる。

集中力が多少落ちても、程よく体力落ちた今の方が、容量に限りがあって程良い。体力がなければ過剰に無駄なことはできないし、何か問題が起きても、歳を取れば疲れの方が勝ち、悩むより寝てしまうからである。無駄に繊細な心も体力不足には勝てない。

私に「身体」という「実」があるお陰である。

昔の写真を見直すと、妙に腫れぼったい顔をしている。骨格の上に適切に筋肉がつき、何の特徴もなく張りのある肌で包んでいる。皮膚の薄いつるつるした顔。この顔に皺ができ、足の筋力が落ち、更には、胃の消化能力が落ち、濃厚な味付けに胸焼けしたり、そんなことが我が身に起きるとはとても思えなかった。簡単に言えば、老いというものは別世界のことであった。

その別世界である今、もはや酒も呑めなくなった、況んや豚骨ラーメンをや、である。

もう冬の寒い日に酒場に繰り出さないし、ラーメンも、醤油なら食べられるかもしれないけど、豚骨は無理だと思う。

寒かったら身体が寒いと感じて湯にゆっくり入りたいし、気分が上がらないのは疲労による眠気からだと、当たり前に気づき、昼間干した布団で眠りたい。

ひもじい、寒い、もう死にたい、嫌やったら食べなはれ、と言って、酒ではなく、「醤油ラーメン」を音を立ててすする。

知恵と体力と程々に、来たるべき時には売られた喧嘩も買う。チエのおばあのように。(チエのおばあの体力は程々以上だけど)

そんな事を、柄にもなく考えながら、毎日、近所の坂道を早足で歩いている。

来たるべき日に備えているつもりである。


(※この文章はコロナ渦以前の出来事を書いたものです)










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