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かりんとう

かりんとうを口に放りボリボリと噛み砕く。

骨に響き耳の後ろで音がする。その後、熱い茶を飲めば舌が痺れ脳が甘くなる。

湯呑を洗い裏返して夕寝する。

夕寝は廊下に布団を引っ張ってきて敷き、庭の見える窓のそばで転がっているのが良い。

そのうちに日が暮れどこもかしこも薄暗く全身一色になっている。

重たくなった頭を持ち上げ、台所に戻る。

台所で裏返され乾いた湯呑に水を入れる。一気に飲み干した後、なんとなく浅ましい気持ちになる。

昼間、あれほど明るくて、どれだけ遠くまで出かけても家に戻れば、すっかり家の匂いに馴染んでいる。何もなかったかのように、布団と一体になり平たく寝そべっている。

気まぐれに目覚めれば、どうしたら、誇り高くいられるのだろうなどと考えていたりする。無関心である時はその様であるのに、一度、何かを感じはじめると、焦燥にかられて、どこか浅ましくなる。

ずうっと眠っている訳にはいかないし、ずうっと起きていることも出来ない。運動を持続させ、持続させる力と同じまたはそれ以上の力で留まり、動き出すための力を持って動き出す。全ては一瞬で失われ続け、二度と戻っては来ないが、存在し続けている。 存在し続けているということが走り出す力となるが、いつかは、消えてしまうと思うと、不思議な安堵も訪れる。

秋は快適だ。丁寧に温度を調節をしなくても心地よく眠っていられる。身体の機能に余裕があるから、少し余分に考えるのだろう。

台所の椅子から立ち上がり、部屋から出ていく。

食べかけのかりんとうの袋は、台所の端で、折り畳んだ封を下にして、くの字になっている。裏返った湯呑の水は切れ、乾いている。

廊下の薄闇に敷いた布団を、床に戻している。

秋の虫は一体いつまで鳴いているのだろう。

私を囲む虫の音のその向こうは、もう長い間、静寂なのではないだろうか。

布団を戻しながら、そんなことを考えている。












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