映画『台風クラブ』を改めて観る。
週末、映画『台風クラブ』を改めて観直した。
強い風が正面から吹きつける。服を着たまま雨に打たれる。近頃蒸し暑くなったせいか、どのシーンも気持ち良さそうだなぁとおもった。
嵐の前の身体は熱が出る前の芯の重だるさ、風雨が強まり嵐になれば、身体は汗ばみ熱は身体から解き放たれる。確かに『台風クラブ』に違いなく、例えば『満月クラブ』ではダメだったのだろうと思う。
主人公は地方都市(割と田舎)の中学生である。ただでさえ、視野が狭くなりがちな思春期で田舎特有のより限定された世界。なんとなく予想のつく自分の将来に対する苛立ちと不安定さが顕著で、彼らの多感さを示すシーンが何度も何度も重ねられていた。共感生羞恥まではいかないけど、平常心で見ていられるという訳でも無いのだった。
思春期の感覚を懐かしいとするのは、誤魔化しなのかもしれないなとふと思う。思春期特有のものとされているものは、かつては正体不明で今や名前をつけることで整理していったものだ。名前をつけると、失くしていなくてもそれ自体ではなくなってしまう。いつだって萌芽する種は持っているけど撒くことはせずに持っているうちに、持っている事さえも忘れてしまう。
最大公約数を示しやすい思春期的なものを、「わかりやすくダメな大人達」と対比させていながらも、若さという一瞬の美や純粋に寄りすぎていないせいか、意外と目線がサッパリしているところが良いなと改めて観て思った。雨上がりに匂い立つ体臭を感じるくらいの近い距離でありながら、対象物に気持ちが入り込みすぎていない作り手の絶妙なバランスに、どこか愛のようなものを感じるのだった。
又、かつて『転校生』で階段を転げ落ちて女子生徒と入れ替わる役柄だった尾身としのりが家出少女を家に連れて帰る、大人でも子供でもないまぁまぁクズな大学生役というのが、なんかすごく良いなと思った。
劇中曲で、バービーボーイズがラジカセから流れたり、登場人物たちが雨に打たれながら、わらべの「もしも明日が晴れならば」を歌ったり、映像作品ならではの手法が効果的に使われていて狡くて上手い。上手い人はいつもちょっとだけ狡い。この映画といえば、よく話題にあがる乱痴気騒ぎのシーンも最初に見た時は唐突な感じがしたけど、改めて見ると、共通認識の中で感覚を具象化するのがとても上手いなぁと思った。
服のまま雨を浴びる心地よさ、服が張り付く感覚、雨と汗が混ざった人間の匂い、今はあの感覚が好きなわけではないから、それについてあまり考えたくは無いけど、蒸し暑くなるとなんとなく思い出す。
死により近い老人になったときは、台風の風雨をどう感じるのだろう。ただただ慣れきっているのか、恐れるのか。映画の中で描かれた「生は死を前提になっている」事を忘れたダメな大人の時期をも通り過ぎ、老人になれば再び思い出すかもしれない。
嵐になると芯熱が放たれる。
老人の台風クラブみたいなものがあったらいいなと思う。あの頃ように、限りなく自由に動く肉体がなくても。
※曲中で流れるBARBEE BOYS 『暗闇でDANCE』が公式でなかったので、別の曲を公式から。
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