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世界名作劇場『小公女セーラ』を大人になってから改めて見た話

先日突然記憶が蘇り気になっていたアニメ『小公女セーラ』を見なおしました。

小公女セーラの大まかなあらすじ

子供の頃の記憶は何十年経っても覚えていることが多いのに、近頃の事はすぐに忘れてしまいます。せっかく見ても何も書かないと、見たことさえも忘れてしまいそうなので、推敲せず、思いつくままに感想を書いてみようとおもいます。

全編通して「プリンセス・セーラは必ず美しく描く!」という作画のクオリティの高さと制作側の揺るぎない決意(を感じた)に、アニメならではの良さを感じました。

声優さんの声も美しく言葉遣いが綺麗です。さすがセーラの寄宿するミンチン女学院はお嬢様学校、意地悪クラスメイトが何かを否定する時さえも「〜てよ」→「そうじゃなくてよ」的な言い回しでとてもエレガントです。

私もこれから身近な人との行き違いがあった時はそういう言い方をしようと思いました。親しさに甘えた些末な小競り合いが減りそうな気がしなくもないです。

その他、所謂『セーラ構文』もあることにきづきました。

「私〜(分かった又は気がついた)の、だって、〜(分かったことの内容)ですもの」

私事ですが、先日奥から出してきた七輪で魚を焼いて食べておりました。その時思ったことをセーラ構文を使って例文を作ると

「私分かったの、七輪で焼くと魚は何倍も美味しいって。だって炭火の火力が魚の旨味を増すんですもの」

と言う感じです。

小公女セーラといえば、やはり記憶に残るのはセーラが虐められるシーンですが、核となるのは信仰の話でした。

これまで小公女の原作を読んでおらず、子供の頃にこのアニメを見た記憶では「悲しい目に合う綺麗な女の子の話」としか認識していなかったので、今回初めてその事に気づきました。時代背景として当然ですし、礼拝のシーンも多いし、私だけが気付いていなかっただけで名作劇場の常識なのかもしれませんけど…。とにかく子供の頃の私は絵だけ見ていたのか?というほどその事に気付いていなかったです。

ミンチン先生をはじめ、意地悪な役の人たちは高貴で優しく美しい光り輝くセーラを際立たせる「闇」の役割として登場します。

闇の者たちが活躍する虐めシーンについて、今回見て初めて気付いたのは、セーラが虐げられることよりも、虐げた側が、虐げられたセーラを「笑う」描写の方が見ていてキツいということでした。意地悪→笑う、というシーンは最後まで繰り返し出てきます。いじめる側の、目配せ笑いがとても生々しく、さらに闇度を増しているように思いました。

中でもセーラをいじめる事に最も時間を割いていたのは、ミンチン先生、かと思いきや、同じミンチン女学院寄宿生のラビニア(アメリカの石油王の娘)でした。

ラビニアはセーラが来る前は、寄宿生の代表生徒でしたが、フランス人を母に持つセーラがフランス語を流暢に話すことができた為、その座をセーラに奪われた事があります。

ラビニアはセーラがメイドになった後も
「あの子は今やボロな服を纏い私より美しくないし、台所仕事で授業も受けられない。そんなあの子をなぜ虐めるのかですって、それはあの子が惨めな状況になっても何一つ、こたえていないからよ。それが気に入らないのよ。」的なことを言います。

度肝を抜かれてしまいました。

せっかくの体力を、あえて濃い人間関係に投じて、わざわざ人をいじめる事に使うなんてもったいない、と、近頃慢性疲労が取れない私は思うのですが、寄宿学校のような閉鎖された空間では、現代のように程よい距離感で良好な人間関係を保つなんて不可能なのかもしれません。

遥か彼方の事で忘れていましたが、平凡な公立校出身の私でさえ、小学校中学校の交友関係はそれなりにサバイバルでした。大人でよかったと胸を撫で下ろす瞬間でした。

セーラは大人からも虐げられます。
ミンチン先生、炊事番の夫婦…

これは虐めの構図の定番ですけど、結局ところ、ラビニアもミンチン先生も炊事番の夫婦も、その原動力は嫉妬です。

ラビニアはセーラの高貴さに、ミンチン先生はセーラの教養に、炊事番夫婦はセーラのかつての身分に。

中でも炊事番夫婦(労働階級)の虐めは、ラビニアやミンチン先生とは異なる凄惨さがあります。途中でマリーアントワネットの話が出てきたせいか、ルイ十七世の境遇を思い出し、無意味に落ち込んでしまいました。晴れた日に気が滅入ると倍に滅入るものです。

画面の外から見ていると人間の嫉妬がいかに醜いものかよく分かり、永遠の堂々巡りと自分もその一部に過ぎない事に、壮大なやりきれなさを感じました。

無意味に鬱々とすると思考が散漫になり、セーラだってインドからすればイギリスから来た侵略側なのかも…と最終回でインド行きの船の上から手を振るセーラに無邪気に安堵することもできないような気もしてきました。さすがに考えすぎですし、セーラを軸とした話としては論点がずれている気もするので一旦その辺は置いておきました。

とにかく途中の虐めシーンがキツかったので、なんとか最終回まで見てよかったと思いました。

ミンチン先生に関しては「ミンチン先生の後悔」というタイトルの回があるほどに、相当後悔するシーンがありますので、ミンチン先生嫌いの人はスッキリしそうです。

以前、某ツイキャス放送でミンチン先生に対する視聴者の苦情が酷かったとの話を伺いましたので、その辺りの制作側の帳尻合わせもあったのかもしれないと過りました。

同回では、これまで悪気なくセーラを追い込んでいた、所謂「悪い人ではない」ミンチン先生の妹アメリアも、なかなか粘り腰の闇っぷりを発揮してくるので、その辺りの人間模様も見逃せません。嫌な感情が噴出した時の表情がリアルで、怒っている時ってこんな顔になるのかと、ゾッとしました。アンガーマネジメントを取り入れて、出来る限り怒らないで暮らしたいと思いました。

あと、書きこぼしたのは…、セーラと並行して描かれるメイドのベッキーと町の子ピーターについて。

二人の存在が、セーラの物語に奥行きを出していたように思いました。二人は「セーラお嬢様」を通して素朴な信仰をさらに深いものにしていましたし、セーラも二人の労働を通してかつての自分と異なる階級での人間の在り方を学んでいました。あと従者といえば、お隣のインド帰りの旦那様宅で働く〇〇(名前を忘れました)が、憂いを帯びた目をしたなかなかのナイスガイでした。何度も同じミスでペットの猿を逃がしすぎなのが多少気になりましたが…。階級社会の中でのそれぞれの誇りが描かれていたように思います。

馬、オウム、ネズミ、鳥、猿、犬、猫などの名作劇場ならではの動物チームもたくさん登場するのでまたその辺りも書きたいなと思います。

また今回書けなかった寄宿生友達のロッティやアーメンガードなどについてもいつか書けたらとおもいます。

最後に、アーメンガードが初めてセーラと友達になった時セーラに伝えた言葉、「私あなたの名前大好き」を書いて終わりとします。


追伸※プリンセスセーラへの熱い思いが止まらず思いがけず長文に…ここまで読んで頂き有難うございました

以下小公女セーラ第一話


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