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いがぐりが鳴いている

電話に出ると、すみません、寝てましたか、と言われる。

起きてから既に3時間以上経っている。

起きていました。

簡潔に答えるのは、いつもの事だからだ。何時に電話に出ても寝起き声であり、すみませんというのは寧ろこちらの方である。要は私の発声の仕方が悪いのだ。

レジ袋が無料だった頃、袋お入れしましょうか?の問いかけに、「はい」と言っても三回に一回は袋には入れられず品物を渡された。店員側からすれば、レジ前の私は、はい、いいえの判断がつかない発声をしたか、無言で佇む人間だったのだと思う。

思いがけず不気味な存在になってしまったことに気づき、かと言ってもう一度伝えるほど袋が欲しいという情熱もない。レジ台に置かれた品物を手で持ち、店を後にし、一連の出来事を無かったことにするのだった。

伝わらないのは意思疎通の気持ちがないからだろう、と言われ、ない訳ではない、と思っている。

承服できない不都合があれば大きな声で主張する、と言うと、自分に都合よく思ったって急に声は出ないよ、と返される。

喉も筋肉と同じで使わなければ衰えていく。

そういえば首周りが細くなっている気がする。首が退化して、口も退化して、そのうちに口のあった場所は、例の如く、つるりと平らになり、残った目と鼻と耳だけが妙にせわしなく活動しはじめる。長い年月をかけて、漸く獲得した口の中の空洞は、自分の肉で隙間なく埋められてしまう。すっかり口無しになった自分の顔を頭の中で描く。姿は奇妙であるが、然程、違和感はない。寧ろ、その姿が正しく、機能の退化の方が追いついていないようにも思う。

「何にせよ、使った方がいいよ、どうせ減るほどに使わないのだから。」

はい、と言った後、この人は私の言葉を聞き取ってくれているのだなと、妙に有難い気持ちになっている。

私の口は退化しているから、お礼は言わず、思っているだけだ。


無数の針で覆われたイガ栗から小さな小さな声がする。

小さすぎて、聞き取れず、その身が震えることでしか表すことができない。下草や枯れ葉に混じり地面に転がっているそれが、小刻みに動いていることを誰が気づくだろう。震えたその身に触れる枯れ葉だけが微かにカサカサと音を鳴らしている。針状の殻斗の奥、鬼皮よりもっと奥からのくぐもった声は誰にも聞こえない。


そのうちにレジ袋は有料になった。五円、二円、と書かれた厚紙の、変にツルツルとした札を籠に入れ、無言のまま精算するシステムができた。

相変わらず、仕事の電話に出れば、起こしてすみません、と言われる。退化して小さくなった口を出来る限り沢山動かして、起きていたので大丈夫です、と大きな声ではっきり言うが、かえって寝ていたことを誤魔化した様になり、相手はもう一度、すみません、と言う。


2021/5/21 青乃(栗の為秋に投稿する予定)








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