全自動一石投じ機

ここ数ヶ月、仕事をしたり出かけたり寝たり、風呂に入ったり映画を見たり寝たり、食べたり歯磨きしたり寝たりしながら、時々文章も書いてますが、いつも以上にまとまらず、noteを更新できません。

更新したいと思いながら更新できず二ヶ月近く経ってしまいました。
更新したいのにできないのは、実は初めてのことで、一体何事なのかと先程15分ほど考えてみました。

結論として、これは思春期のようなものだと思います。
子供の頃は平気で異性と会話できていたのに、第二次性徴期を迎え、これまでなかった羞恥心が芽生え、意識しすぎてよそよそしくなる、あの段階です。
中年から文章を書き始めて数年、まさか再び思春期を味わえるとは思いませんでした。
今私はよそよそしくなっています。文章に対して。
しかし恥じらい恐れ慄きながらも、人生そんな時もあるさと軽くも流せるのが、体力のない中年故のなせる技です。

先日、日光浴中のトカゲがいました。
尻尾を再生中のようで先が黒くなっていました。
再生…この機能を自分におきかえると髪の毛が伸びるみたいな感覚なのでしょうか。
それとも髪の毛ほど無感覚ではなくてむず痒かったりするのでしょうか。
再生した上でそれが動かせるのはすごいなぁと思いながら遠くからカメラを構えてズームでみるとちょっとだけ恐竜っぽくてかっこよかったです。

恐竜っぽいとかげ=かっこいい って何?

ふと思います。

とかげ=かっこいい

で良いじゃないか。

そもそもかっこいいって何なのだろう。

この場合のかっこいいは、竹野内豊=かっこいい(世代的な感覚ですみません)の性的魅力を感じるみたいなこととちょっと違っていて、フェラーリ=かっこいい、みたいな事かなと思っています。
そして、それはフェラーリという乗り物のセレブリティがカッコいいわけではなくてフェラーリ自体の造形と速いという性能、そのポテンシャルがかっこいいということです。
とはいえ
造形がかっこいいということならば竹野内豊もそうなのですから、突き詰めてみれば私にとってはフェラーリと竹野内豊は同じなのかもしれません。

造形かっこいい=フェラーリ=とかげ=竹野内豊です。
(この場合のフェラーリの速くてかっこいいの部分は下ネタの危険性を感じるので無視したいと思います。考えすぎでしょうか。どちらにしろ竹野内豊のポテンシャルは速さではなく2枚目役すぎない時にこそ滲み出る色香にあると思います。)


思いつくままダラダラと書いてしまいましたが、
「造形がかっこいい」かっこよさ、で共通するわけですからトカゲの印象は恐竜みたいにかっこいいではなく、竹野内豊みたいにかっこいいと言えば良いわけです。
いや、そうでは有りません、
とかげがかっこいい、で良いのです。
変な言い回しをしてしまうだけで、実際にトカゲのことをかっこいいと思っているのですから、それをそのまま言えばいい。

そもそも「〜みたいにかっこいい」という言い回しほど失礼なものは無いのではないのでしょうか。

小学生の頃、胡瓜に蜂蜜をぬるとメロンみたいな味がして美味しいという噂がクラスの間で出回ったことを思い出します。

それならメロンを食べればいいじゃない、などと迂闊なことを言うつもりはありません。ただ、胡瓜の気持ちになってみてほしい。
塩でもなく、マヨネーズでもなく、蜂蜜をかけられた上に、胡瓜本来の味を引き立たせて味わうのではなく、蜂蜜をかければメロンみたいに美味しいと言われた時の気持ちを思うと居た堪れません。

小学生の私は帰宅後「胡瓜蜂蜜メロン説」を母に布教しようと試みましたが、何馬鹿なこと言ってんの、という一言で終わりました。古き良き時代のことです。

だんだん眠くなってきました。

何を言いたかったかというと、書けないから書かないのではなく、書かないから書かないのだという紛れも無い事実をしみじみと受け止め、己で己に一石を投じたいということです。

書いて捨ててしまうのではなく、書いて出すまでが一連なのです。
何でも良いから書いて更新しろという言動は、
ティーンエイジャーの恋の悩みに対して「告白しちゃえよ」と焚き付ける無責任なラジオDJを想起させます。
しかし、私は一人でティーンとDJの二役をしているだけですから何の問題もありません。
さまざまな役柄もこなせるのが中年です。

書きましたので、昼寝します。
でも書いているうちに外が暗くなってきたので、
ちゃんと夜になってから本気で寝るのもアリかなと思っています。

2023年6月16日夕方

文章を書くことに役立てます。