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秋のミイラ
雨上がり頭痛治る。
乾いた陽射しが廊下の無垢板を照らし、くっきりと影をつくるので、廊下で寝転がる私も日向と日影でまだらになっている。
体を動かさず静かにしていると、少しずつ体温が下がって日が暮れていく。
体温調節が楽な秋は、家中どこでも眠れるので、普段使わない二階のベッドで横になり、廊下に布団を引っ張り出しては眠り、台所にマットレスを持ち込んでは、転がる。
じっと横になっていると自分の体温がバラバラになり、部分が冷えているのがわかる。私は両手を擦って温めるとそこに手を当てて、またジッとしている。
昔、長電話すると押し当てた受話器のせいで耳が熱くなっていた。何をそれほど熱心に聞いていたのか。あれ程押し当てなくても声は聞こえるのに今思えば不思議である。相手が誰だったかは覚えておらず、ただ耳がジーンと熱かった。電話を切って耳を片手で押さえてゴロリと転がると当時住んでいた一人暮らしのアパートの床はやけに固かった。薄いグレーのカーペットが敷いてあって、私はその色が嫌いであった。友人の家のウォールナットの艶々のフローリングが羨ましかったのだった。
今、目の前にある廊下の板は、夏の終わりの手入れを怠り、うっすら乾き始めている。見るのが億劫になり、目を瞑れば遠くで聞こえる人の声と車の音、その後に傍の微かな虫の音が聞こえてくる。
決める事は、決める前にしなければならず、気づけば遠くに来ているものである。言葉をいくら並べてもそれを掴むことは出来ず、空っぽの自分がただ身体を動かしていると、いつの間にか始まっている。
考えているうちは、どこにも行かない。
私は乾いた廊下の上で、秋のミイラとなる。
考えもせず眠りもせず、ただ長細く、横たわっている。
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