「アルカエア」第2話

 銀色の二段重ねのお弁当箱を取り出した紗衣が、それを開く。中には、色鮮やかな具材が入っていた。ゴマで目がついた、タコの形のソーセージがまず視界に入る。卵焼きにもゴマで顔が書いてあった。ブロッコリーの緑も鮮やかだ。白米の上には、鮭のフレークで絵が書いてある。良い香りが漂ってきた。

「これ……どこに売ってるの?」
「私が作ったんだってば!」
「作って……? すごい……」

 初めて見るお弁当に、俺の目は釘付けになった。フランス――というよりも、俺のこれまでの人生には、存在しない文化だった。

「みんなが嫌なら、二人で食べよう? ただ、親睦も兼ねて、本当はみんなが良いと思うんだけど――ここは、夫婦の親睦から深めよっか」

 俺は慌てて顔を上げた。

「そんなものは不要じゃないの? 俺はただの提供者で、そちらは俺に金銭を提供してくれた――つまりはパトロンとなったというだけのことだろう?」
「ううん。私は、ルイくんが好き」

 そう言いながら、俺のそばに紗衣が座った。テーブルの角をはさんで斜め横にいる。彼女は自分のぶんのお弁当箱をひらく。そこには、俺のお弁当と同じ風景が広がっていた。俺のほうが、量が多い。

「――紗衣こそ、それで足りるの?」
「あ、名前で呼んでくれた」
「っ……煩いな。大体、俺のことをほぼ何も知らないくせに、どこが好きなの?」

 不貞腐れつつも、俺は素直に箸を手にとった。食べないことに慣れている体は、サンドイッチでも十分だったのだが――あんまりにも彩り豊かなお弁当が美味しそうだったのだ。

「ルイくんの出生から、現在に至るまでのプロフィールは、全て閲覧済みだよ」
「……そう」
「だから何をしてきたかも知ってる。だけど、そういう事じゃなくて……その、寂しそうな顔! 癒してあげたくなっちゃったの」
「俺が、寂しそう?」

 意外な言葉に、思わず怪訝に思って、眉を顰める。そうしながら、小さな肉団子に箸を伸ばした。すると紗衣が大きく頷く。

「ルイくんのそばにいたいって思ったの」
「へぇ」
「ねぇ、美味しい?」
「うん」

 素直に頷きながら、俺はお弁当を食べた。人間、何かしらは取り柄があるんだなと考える。そうしていたら、紗衣が破顔した。

「良かった。なるほど、まずは、餌付けからするね!」
「餌付け? 俺は、ペットじゃないんだけど」
「うん。ルイくんの可愛いの種類は、勿論、私の愛猫のアウラとは違うよ」
「猫?」
「可愛いんだよ。今度、見に来て」
「……気が向いたらね」

 そんなやりとりをしながら、俺達は昼食をとった。
 俺はおそらく――餌付けされたのだろう。この日から、紗衣が少しだけ特別になった。

 こうして俺はと朝儀は、自由研究らしきものを作成した。

 実際の作業は、六月末に川で石を拾い、七月第一週の木曜日に写真を撮って印刷、第二週の水曜日に感想を書いただけであり、お互い別の任務に従事していた。

 というのも正確ではなく、実際にとある高等部に通っているという朝儀はテスト期間と学園祭の準備とかぶった為、自由研究に時間がかからないのを良い事に、普段は病弱設定であまり顔を出さない学校へと登校していたらしい。俺は、病弱設定ではなく不良設定の方が、彼にはあっている気がした。

 不良という概念を俺に教えてくれたのは、写真撮影を手伝ってくれた北斗である。

 俺の側は、真面目に仕事をしていた。理由は、フランスから新たに指令が出たからである。仏外人部隊に所属する日本人を、その為に帰国させるという話で、今後俺の指揮下にその人物が加わる事になっていた。準備があったので、俺は忙しかったのである。

 結果、朝儀と顔を合わせたのは、八月の頭の事だった。これは予定通りでもある。夏瑪教授がいるはずの大学の、夏休み期間に重なるように設定してあったのだ。アポイントメントは副班長達が取り付けてくれていた。俺達はただ、出かけるだけである。

 紗衣が学園の講師役となり、俺と朝儀は、中高一貫での自由研究の班が同じ二人のとして、この日はそれぞれ、スーツと制服を身に纏った。そして大学へと向かい、俺と朝儀は紗衣の先導のもと、構内を歩く。直接教授室へと向かうらしかった。そこで待ち合わせをしているらしい。

「やぁ、いらっしゃい」

 出迎えてくれたのは、銀色の髪をした青年だった。年の頃は三十代半ばから後半だろうが、不思議と白髪には見えない。彫りの深い顔立ちを見て、日本人では無いのは明らかだと俺は思った。しかし、資料で見た範囲の中の、オロール卿の特徴とも一致しない。吸血鬼は姿を偽装する事が可能だが、その場合であっても、容姿を変化させる場合は、大元の特徴――例えば目の形や耳の形、位置関係などが僅かに残る事が多いという研究結果がある。色彩こそオロール卿に近いが、逆に今回の場合は、オロール卿のフリをしている偽物が、ここで夏瑪夜明を名乗っているらしいと俺は判断した。偽物もまた、吸血鬼であるが。

 夏瑪夜明は、この国に、複数人存在する。戸籍の上でも変わらない。

 オロール卿は、自分が成り代われるように、いつも戸籍を複数寝かせている。その中でもお気に入りの名前が、夏瑪夜明であるらしいだけで、他にもいくつもの名前を持っている。戸籍が必要な職業に就く時、最適な戸籍を選んで、その者として生きてきた人間を喰い殺し、成り代わっていると考えられる。生かしておいた場合や、新たに吸血鬼を生み出した場合は、その者に、夏瑪夜明の一つの戸籍を与え、身代わりにする事もある。例えば逃亡を謀る場合も、それらしい吸血鬼を夏瑪として残し、その場から姿を消す事がある。

 そもそもの話、それを行っているのが本当にオロール卿なのかも、俺には分からない。そうらしい、という情報から、この国に調査へと来たのだ。よって、今回が空振りであっても、特別落胆したわけではない。数日とは言え、石を眺めるのはそれなりに楽しかった。

「紗衣、ただの吸血鬼だ。俺がこの場で排除する。二人は帰って良いよ」
「ダメです!」
「僕は帰りたいけど……つまり、オロール卿じゃなかったって事?」

 俺は朝儀に頷いた。そんな俺を、後ろから紗衣が羽交い締めにしているが、抜け出すのは容易い。後ろから肩に当たる大きな胸の柔らかな感触の方に、俺は複雑な気分になった。止めに掛かられているのに、抱きつかれている気分になったからだ。

「あの……自由研究の話じゃなかったのかい?」

 すると、困惑したように、夏瑪教授の偽物が言った。俺は思わず目を細める。

「白々しいな」
「そうは言われてもねぇ……この後は、卒論指導の予定も入っているから、用事が無いのならば、お引き取り願いたいんだけど……」
「目の前に吸血鬼がいて見逃して帰るわけが――」

 俺が言いかけると、紗衣が今度は俺の口を片手で閉じた。そんな俺達を一瞥してから、朝儀が偽物に向き直る。

「あ、僕達は、自由研究のふりをしてアポを取った内閣情報調査室の者です」
「……そうじゃないかとは思ったけどねぇ、この国では、吸血鬼であっても、輸血用血液パックを用いていて、戸籍を保持していれば、生存していて良いという裏法律があるだろう?」

 困ったような偽物の声を聞いて、僕は虚を突かれた。
 確かにそういった対妖魔用の裏法律がある国は多い。
 そして上辺だけでもそれを守っている場合――影でひっそりと人間の血を飲んでいる場合でも、表向き守っているのであれば、法を犯した証拠が無ければ、動いてはならない事になっている。無論、こちらも表向きなので、俺は基本的には動く。動いたとしても、何も言われない。当然、建前であり、動くものだと思って、俺は生きてきた。

「その通りです。少しお話だけ聞かせて頂きたいのですが」

 紗衣が俺を押さえたままで頷きながら続ける。

「いつから夏瑪教授のお名前を名乗っておいでなのですか?」
「この大学に入学した時だね。人間の学問を学びたくて悩んでいた私を見かねて、夏瑪先生が声をかけてくださいました。以降は、学生として、そうして職員として、私はこの大学に夏瑪という名で過ごしているよ」
「その声をかけた夏瑪教授とのご関係は?」
「妖御用達のbarで、隣の席だったんだ。その日が初対面だよ。同じ吸血鬼ではあるけれど、それ以上の事は知らない」
「最後にお会いになったのは?」
「その日に会ったっきりだよ」

 困惑している様子の大学教授を見て、嘘をついているようには見えないので、俺は静かに目を閉じた。だからといって、逃がして帰るというのか? そんな選択は在り得ない。

「有難うございました。よし、帰ろう、二人共」

 しかし紗衣はそう言うと、俺の腕を引き、外へと歩き始めた。朝儀は何も言わずについてくる。俺はといえば、今後の対処を考えながら、一旦は外に出る事に決めた。

「ちょっと、トイレに行ってくる」

 歩きながら、さも思い出した風に、校門間近の場所で、俺は紗衣達にそう告げた。すると紗衣と朝儀が俺に振り返る。

「なんなら先に帰っていて」
「――うん。じゃあ、帰ろっかな」

 朝儀が素直に同意する。紗衣は、暫しの間、俺をじっと見ていた。露骨だっただろうかと思案する――吸血鬼の排除の為に姿を消す理由としては。

「迷子にならない?」
「子供扱いしないで」

 イラっとして俺が言うと、紗衣が吹き出した。

「モノレールもあるし、一人で帰宅する事も出来るよ」
「そう? 寂しいなぁ。縲くんと一緒に夕食を食べたかったのに!」
「紗衣さん、俺はモノレール代持ってこなかった。送って」
「車で来てるしね――しょうがないなぁ」

 朝儀が紗衣の腕を引っ張っている。それから彼はチラリと俺を見た。そして小さく頷く。ああ、なるほど。朝儀は俺の行動を察していて――賛成らしい。それに気が楽になった。朝儀は日本人ながらに、非常に俺と近い感性をしているように思う。だからこそ共にいて気が楽になるのだ。

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