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傷跡の建築|宮地尚子『傷を愛せるか』より思うこと

「ベトナム戦争記念碑」という建築


読んでいた『傷を愛せるか』というエッセイ集の最後に突然、昔その名を知った「ベトナム戦争記念碑」に関する記述が出てきて、驚きのまま読書体験が終わりました。精神科医でありトラウマ治療の第一人者である著者・宮地尚子さんがアメリカ滞在時に初めてそこを訪れた時の感想が記されており、人生でいつかこの目で見てみたいと思っていた建築の登場に心持ち緊張しながら読み進めました。

長いあいだ気になっていた記念碑を、訪れることができる。自分の中からどんな反応が起きるのか、どんな感情や感覚、思索がわくのか、興味があった。もっと率直にいえば、どんなに感動するだろうと思っていた。けれども実際に記念碑の前に立ってみたとき、わたしは自分の中から感動がわき起らないことに気づき、あせった。正直な感想は、「なんだか、みじめだなあ」というものだった。

『傷を愛せるか』p.202

「ベトナム戦争記念碑」は当時21歳でイェール大学在学中であった中国人のマヤ・イン・リンという女性がコンペを獲って設計した建築です。「記念碑自体が政治的な意味をもたず、周囲に溶け込むようなものにすること」というコンペの条件に対し、彼女は全長約150メートルの黒御影石の壁をV字型の平面形で地下にめり込むようにしてデザインしました。

床は壁に沿ってなだらかな傾斜になっており、その磨き上げられた壁には戦没者の名前が刻み込まれています。訪れた人は、その黒々とした壁をなぞり、そこに映り込む生きている自分の姿を重ね合わせるようにして祈りを捧げながら、傾斜面を降りて地下へと下っていくというとてもシンプルな構成のものでした。

via WIkipedia

しかし、建設当時、記念碑としてその誰の目に見てもはっきりと分かるような具象性を持たないデザインが物議を醸したことから、その後3人の帰還兵の像がその傍に建てられることになります。

その経緯に関しては『10+1(テンプラスワン)』という建築や都市を扱うコラムを掲載するウェブサイトに以下のように論じられていました。

マヤ・リンによる抽象的な造形プランが一等になったあと、誰の目からも戦争メモリアルであることがわかるようにと、具象彫刻やアメリカ国旗があるべきだという議論が起こります。そしてそれらが追加されるのですが、特に具象彫刻が付加される過程に、アメリカにとってのベトナム戦争の位置づけが表われていて興味深いです。ベトナム戦争では、例えばアーリントン国立墓地にある第二次世界大戦の記念碑《合衆国海兵隊記念碑(Marine Corps War Memorial)》の原案となった「硫黄島の星条旗」のような、広く流布したヒロイックなイメージがなかったために、勇敢な戦士の具象彫刻をつくることができなかった。結局ある意味では無難な、3人の兵士をかたどった《ザ・スリー・ソルジャーズ》が近くに加えられています。

『彫刻と建築の問題ー記念性をめぐって』


そのような歴史観や背景があったことを知りながらも、「喪の建築」として戦死者を悼む場所であり、同時に周囲に溶け込み静かにたたずむ美しい建築なのではないかと私は本で見て認識していました。そして、彼女に対しても何らかの感動を呼び起こすのではないかと考えていたのです。


隠された傷跡


しかし、歴史認識の深さやその造形も相まって「ベトナム戦争記念碑」という建築は著者の目にはっきりと、歴史のなかで「負の遺産」=「隠された傷跡」としての記念碑のように映り、彼女から「みじめだ」という感想を引き出します。地下に潜っていくという断面的な構成はその祈りの空間に「没入していく」ことにつながるのではないかと私は考えていたのですが、記念碑の傾斜を下りながらの彼女の感想は、この場所が周辺から「見下げられている」という身体を通した率直かつネガティブなものでした。

 わたしは感動しなかった。みじめだと思った。けれども、それもまた別の形で、リンが構想した筋書きどおりの反応だったといえるかもしれない。リンのデザインはたしかに斬新だった。抽象化され、芸術的に美化もされている。けれども傷は傷である。
 美しい傷など、実際にはまずありえない。傷は痛い。傷はうずく。〈略〉傷はみじめで、醜い。だから見たくない。自分の傷をもてあまし、目を背ける。傷をさらけ出す人間には嫌悪感を覚える。
 リンは傷にたいする人びとのそういった否定的な感情をふくみ込んだ上で、記念碑をまぎれもない傷跡としてデザインした。

『傷を愛せるか』p.205~206

この痛みにも近い感覚は、常に患者の抱える「傷」に寄り添い、また「傷」と呼ばれるものに敏感な彼女だから発することのできる言葉のように感じられます。人間が「幸せ」であるにはどうあるべきか、学術的なシンポジウム、臨床の現場、はたまた旅の道中まで、常に問い続けている彼女にとって、多くの犠牲者の名前やその抽象的なかたちの戦争記念碑の存在はそれだけ大きくのしかかってきたのでしょう。

この後、天童荒太さんの『包帯クラブ』で描かれた「傷のある風景とその手当て」やベトナム帰還兵たちのその後を描く『アメリカの森 レニーとの約束』を引用しながら、彼女は文章を書き綴ると同時にこの碑のイメージから自身が受けた傷つきを癒していき、最後には傷を「愛する」という動詞へと辿り着きます。

本著に収録された『傷を愛せるか』というひとつのエッセイには、記念碑の持つ意味とその歴史の傷跡とともに、「傷を癒す」ことを生業とする著者の生身の人間としての体験が記されており、私にとっては「傷」という本来目にしたくないものの持つ「意義」について改めて問い直すきっかけとなるものになりました。

Main Photo via website of The Maya Lin Studio
Photographer:Terry Adams

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